室町幕府後期の諸政権
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支配政権 |
擁立された足利一門 |
時期 |
主な擁立者 |
説明 |
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第10代将軍 義材 |
1490年 - 93年 |
畠山政長(1490年 - 93年) |
明応の政変によって廃立された。 |
細川政権 |
第11代将軍 義澄 |
1493年 - 08年 |
細川政元(1493年 - 07年) 細川澄元(1507年 - 11年) |
永正の錯乱による細川家の混乱に乗じた大内義興の上洛によって失脚。 その後再起を図るが、11年の船岡山合戦直前に病死する。この結果義材の地位が確定した。 |
義材復位 義尹/義稙 |
1508年 - 21年 |
細川高国(1508年 - 21年) 大内義興(1508年 - 18年) |
大内義興は不和と尼子氏の侵攻により18年に帰国。 その後、義稙は21年に高国と仲をたがえて出奔。淡路で挙兵するが敗れる。 |
第12代将軍 義晴 |
1521年 - 27年 |
細川高国(1521年 - 31年) |
義澄の子。義材が高国に反したため擁立される。 27年桂川原の戦いで晴元に破れ、近江国に逃げた。 |
堺公方 |
"対立将軍" 義維 |
1527年 - 32年 |
細川晴元(1526年 - 32年) 三好元長(1526年 - 32年) |
義維の弟。将軍宣下は受けなかったものの堺で幕政の実権を握った。 32年に元長が晴元によって殺害されると阿波国に戻った。 |
細川政権 |
第12代将軍 義晴 |
1532年 - 46年 |
細川晴元(1532年 - 61年) |
後年、義晴は晴元と対立と和解を繰り返した。46年に義輝に将軍職を譲ってその後見人となった。 晴元は49年江口の戦いで三好長慶に敗れ失脚した後も、反三好派を糾合して長慶と戦ったが敗戦を重ねた。61年に六角義賢に仲介されて和睦し隠棲した。 |
第13代将軍 義輝 |
1546年 - 49年 |
三好政権 |
1549年 - 64年 |
細川氏綱(1543年 - 64年) 三好長慶(1548年 - 64年) |
49年江口の戦いの結果晴元が失脚し三好長慶が幕政を壟断した。 これに対して義輝は反発と和解を繰り返しながら、幕府権威の復興のため活動を行った。 64年に長慶が死去すると、義輝は本格的な親政を行って幕府の再興を図ろうとした。しかし、これに反発した松永久秀と三好三人衆らが永禄の変を起こし殺害された。 |
親政 |
1564年 - 65年 |
六角義賢(1558年 - 65年) |
三好政権 |
第14代将軍 義栄 |
1565年 - 68年 |
松永久秀(1564年 - 68年) 三好三人衆(1564年 - 68年) |
松永久秀と三好三人衆の完全な傀儡であった。68年に将軍宣下を受け、将軍に就任したが、久秀と三人衆の抗争による政情不安から上洛することもできず病死した。 |
織田政権 |
第15代将軍 義昭 |
1568年 - 73年 |
織田信長(1568年 - 73年) |
永禄の変に際して幽閉されるが、脱出してその後信長を頼った。68年に信長と共に上洛して将軍に就任。しかし信長に傀儡とされることを嫌い、70年には信長包囲網を形成するに至る。しかし、武田信玄の死に前後して包囲網は瓦解。義昭は追放され、足利幕府は事実上滅亡した。
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