利用者:R Hiraga
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言語別の利用者 |
北海道大学・チーム・ワンハンドレッド #1 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道天塩郡幌延町 |
生年月日 | 1982年7月15日(42歳) |
身長 体重 |
181 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 捕手、二塁手、外野手 |
初出場 | 2001年5月13日 |
最終出場 | 2004年10月24日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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R Hiraga(1982年7月15日 - )は、北海道天塩郡幌延町出身のパラリーガルである。修士(法学)。日本労働法学会、JAPAN MENSA 会員。
人物
ウィキペディアン
2005年ころからIPユーザーとしての編集活動を開始した。2006年1月22日にアカウントを作成した後も、同年秋ごろまではログインという概念自体を失念しており、しばらくはIPユーザーとしての活動状態が続いていた。ログインの方法もしっかり覚え、主に雑草とりやスポーツ(特にプロ野球、大相撲)関係記事の充実を目指して活動しているが、現在の活動は停滞気味である。
また、記事の充実に関連して、3つのウィキプロジェクト(PJ 野球、PJ 野球選手、PJ 相撲)に参加しているが、本業の多忙ともあいまって、なかなか発言できないでいる。また、気になった英語版記事の翻訳なども手がけるものの、翻訳の質も正直言って微妙である。
学問
北海道大学法学部4年次(2004年)から道幸哲也が顧問を務める労働法のゼミに参加し、昨今の労働問題やそれに関する判例についての研究活動を開始した。翌2005年に同大学大学院法学研究科に進学してからは、大学院生の分際で労働法学者を自称し、オーストラリアの労使紛争処理システムが専門だと主張しつづけていた[1]。しかし実際には、学者というよりもむしろ「雑用のスペシャリスト」としての活動が多く、おもに連絡係やゼミ論文集の編集、さらには映画づくりまでをも担当していた。そのため、持って生まれた遅筆とあいまって自らの論文執筆は一向に進んでいない様子であった。2008年3月に修士号[2]を取得し、北海道大学大学院を修了。
大学院修了後は、「せっかく7年も掛けて大学で法律を学んだのだから」という安易な理由で、法律事務所の事務職(いわゆるパラリーガル)として働くこととなった。就職後も、在野の研究者を自称して、主に人脈づくりの分野で輝かしい業績をおさめているほか、最低限の執筆活動も行っている。
なお、ウィキペディア上では労働関係に関わる記事の執筆はあまり行っていないが、自分の専門分野の知識に対する自信のなさがその原因であると考えられている。
スポーツ
中高生時代から軟式野球に傾倒していたが、2001年に北海道大学に進学する直前に突然ラグビーへの転向を発表した[3]。しかしこれは大方の予想通り長続きせず、2002年夏が最後の試合出場となり、同年秋をもって1年半の短いラグビー選手生活にピリオドを打った。
2001年4月には、ラグビーにいそしむ傍ら、各種スポーツ大会に出場することを目的としたマルチスポーツチーム「北海道大学・チーム・ワンハンドレッド」(略称・北大TOH)[4]を結成し主将に就任。背番号は1。おもに補欠としてプレイし、ベンチから大声を出し相手チームに変人扱いされるなど、およそ目に余る活躍を見せていた。自身のスポーツ経験を活かし、ソフトボールやラグビーを得意としたが、バレーボール・卓球・バドミントンなどのネット越しに打ち合う球技とは相性が悪かった。北大TOHの選手として4年間で学内スポーツ大会に15度出場[5]し、変なマグカップや変なテレホンカードを獲得するなどの成績を残した。2005年3月25日、北大TOHの解散に伴って一旦現役引退を表明した。
引退後2年以上経った2007年秋ごろ、突然「軟式野球の選手として現役復帰したい」旨の意思を表明した。当初は2008年シーズン中盤からの復帰を目指していたが、仕事の忙しさから練習・トレーニング等に割く時間がなく、またダイエットに成功して打席における威圧感が失われた[6]ことから、どの球団も獲得を希望するに至らず、現在まで現役復帰は実現できずにいる。
ビブリオグラフィー
ワークルール検定関係
- 『ワークルール検定 問題集2024年版』旬報社、2024年。ISBN 978-4-8451-1884-7。
- 『ワークルール検定 問題集2023年版』旬報社、2023年。ISBN 978-4-8451-1807-6。
- 『ワークルール検定 問題集2022年版』旬報社、2022年。ISBN 978-4-8451-1751-2。
- 『ワークルール検定 問題集2021年版』旬報社、2021年。ISBN 978-4-8451-1694-2。
- 『ワークルール検定 問題集2020年版』旬報社、2020年。ISBN 978-4-8451-1629-4。
- 『ワークルール検定 問題集2019年版』旬報社、2019年。ISBN 978-4-8451-1593-8。
- 『ワークルール検定 問題集2018年版』旬報社、2018年。ISBN 978-4-8451-1541-9。
- 『ワークルール検定 問題集2017年版』旬報社、2017年。ISBN 978-4-8451-1508-2。
- 『ワークルール検定 問題集2016年版』旬報社、2016年。ISBN 978-4-8451-1453-5。
- 『ワークルール検定 問題集2015年版』旬報社、2015年。ISBN 978-4-8451-1397-2。
- 『ワークルール検定2014 初級テキスト』旬報社、2014年。ISBN 978-4-8451-1347-7。
- 『ワークルール検定2013―職場で生かす労働法100問』旬報社、2013年。ISBN 978-4-8451-1315-6。
その他労働法関係
- 『18歳から考えるワークルール〔第3版〕』法律文化社、2024年。ISBN 978-4-589-04357-3。
- 『18歳から考えるワークルール〔第2版〕』法律文化社、2018年。ISBN 978-4-589-03882-1。
- 『18歳から考えるワークルール』法律文化社、2012年。ISBN 978-4-589-03447-2。
- 『おしえて弁護士さん 職場のギモン48』旬報社、2011年。ISBN 978-4-8451-1212-8。
関連項目
- 道幸哲也 - 北海道大学教授。大学院にて師事。
脚注
- ^ 特に多量のアルコールを摂取した際に「俺は日本で3本の指に入るオーストラリア労働法学者だ」と豪語するも、何のことはない、オーストラリア労働法研究をメインに据える研究者の絶対数が少ないだけのことである。
- ^ 修士論文のテーマは「オーストラリアにおける集団的労使紛争処理システムの誕生」であった。
- ^ ポジションは右ロック。背番号5をつけるべきポジションであるものの、数少ない先発出場した試合のほとんどで背番号4(本来は左ロックのもの)を着用している。
- ^ 「Team One Hundred」の名称は、チームの創立メンバーの平均体重が100kg近くあったことに由来している。
- ^ 他チームの補強選手としてさらに3度の出場経験がある。
- ^ 右上テンプレートの体重77kgは2005年の北大TOH解散時の数値。現役復帰の意思を表明した2007年には85kg程度まで体重が増加していたが、翌2008年の年末には59kgまで減量した。2009年以降、体重は60kg台を推移している。