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単性説(たんせいせつ)あるいは単性論(たんせいろん)(Monophysitism、Monophysism)とは、キリスト論において用いられたキリスト教用語で、受肉したイエス・キリストが単一の性(natura)のみを有するという説・論。"Monophysitism"の語源はギリシャ語で1つを意味する「μόνος(Monos)」と本性を意味する「φύσις(Physis)」という言葉である。カルケドン公会議で採択された、キリストは神性人性という二つの本性を持つという立場(両性説)によって否定された立場である[1]

背景[編集]

ニケーア公会議はキリストは神であると同時に受肉した人間であるとした。5世紀になるとアンティオキア学派、アレクサンドリア学派の間でキリストの神性と人性についての議論が盛んになった。アンティオキアが人性を強調した一方、アレクサンドリアは神性を強調した。アレクサンドリアのキュリロスはアンティオキア学派の首魁であったネストリウスエフェソス公会議で排斥することに成功し、「受肉したロゴスに一つの本性」を主張するとともに、2つの本性を主張するものはネストリウス派であると述べた。キリスト内部の人性は神性に吸収され、神性のみが残ったとする考えがあった。451年のカルケドン公会議では、大教皇レオ1世の449年の議論に基づき、キリストは神性と人性、2つの本性が1つの位格の中に有することが定められた。この際、1つの本性を主張したグループが単性性と称される。一方カルケドン公会議の決定を受け入れ、2つの本性を主張するグループを両性説と呼び、これにはネストリウス派も含まれる。もともと単性説はネストリウス派の思想に対抗する形でエジプトを中心に盛んになったが、カルケドン公会議で退けられた。後に単性説の変形ともいうべき単意説の思想が起こった。これはもともと単性説とカルケドン派の立場を結びつけるために考え出されたものであったが、いくたびかは東ローマ帝国皇帝の支持を受けながらも、これも結局退けられた。

4世紀に起こったアポリナリオス主義も単性論の傾向を有するか、もしくは単性論の一種と看做されることがあるが[2]、単性論が明確な主張となったのは以下二つのうち前者を主張したエウテュケス(378年頃 - 453年頃)からであるとされる[1][3]

単性説と見做されるグループ[編集]

・Acephali[編集]

Acephaliは482年に分離した一派である。アレクサンドリア総主教ペトロス3世が皇帝ゼノの働きかけにより、コンスタンティノープル総主教のアルカイオスと協定を結び、ヘノティコンを認めたことが原因であり、ヘノティコンはネストリウス派、エウトュケス派を禁圧したものの、カルケドン公会議の「キリストの2つの本性」を無視するものであった。Acephaliはこれをアレクサンドリアのキュリロスの述べるところの「1つの本性(Mia Physis)」に反していると考え、カルケドン派アレクサンドリア総主教の支配下を脱して、「指導者のいない(Achephali)」教会となった(これが名前の由来である)。

・Agnoetae、Themistians、Agnosticists[編集]

Agnoetaeはテミスティウス・カロニュムスによって534年ごろに分離した一派であり、イエス・キリストは神であるが、他の面では人間であり、知識も限定的だと考えた。同名のグループが4世紀にも存在し、こちらは神が過去や未来を知りえないと考えていた。

・Aphthartodocetae、Phantasiasts[編集]

彼らはキリストの体は受胎の瞬間から復活後のように汚れなく、不死かつ不可侵な存在で、受難と十字架での死は平時のキリストの人間性との奇跡的な対照だと考えていた。ユスティニアヌス1世はこの競技を正統教義に組み入れようとしたが、成功する前に崩御した。指導者であるハリカリナッソスのユリアノス以降はJulianistsとも。

・Apollinarians、Apollinarists[編集]

ラオディケアのアポリナリオスが名親である。彼はイエスが通常の人間の体で、人間の魂の代わり神の精神を持っていたと主張した。第1コンスタンティノポリス公会議で排撃、短期間で消滅した。アレクサンドリアのキュリロスは狂的と評している。

・Decetists[編集]

すべてが単性説というわけではないが、このグループはイエスは人性を持たず、不可侵で不死な神性に統合されており、実際に受難を受けたわけでも死んだわけでもないと主張した。

・エウトュケス派/Eutychians[編集]

イエスは人性と神性が融合した唯一の性を持っており、しかも神性は人性よりはるかに大きいため、人性は海水にはちみつが溶けるがごとくに吸収され、消え去ったと考えた。それゆえキリストの肉体も吸収され、人間と共存し同質(ホモウーシオス)ではない。「言葉の上での単性説」とされるセウェロス派(Severians)と対比して厳格な単性説とされ、教義は「キリストの卓越した神性を強調する単性説の極端な形」とされる。

・合性論[編集]

当該項目参照[編集]

・セウェロス派/Severians[編集]

キリストの人性を汚れうるものとしつつ認める。一つの位格には一つの本性しか宿りえず、キリストは二つでなく一つの位格であるため一つの本性しか宿りえないと主張する。本質についてはカルケドン信条に準じており、「言葉の上での単性説」と称される。

・Tritheists[編集]

6世紀にアンティオキアのJohn Ascunagesにより誕生。父、子、聖霊の共通の本性は、それぞれの独立した本性を抽象したものだと主張した。

言葉の上での単性説[編集]

フスト・ゴンザレスは「20世紀まで存続していわゆる単性説教会の神学についての誤った考えを抱かないよう、単性説の極端な派閥はすぐに消滅し、現在のいわゆる単性説のキリスト論は実際の単性説には程遠く、言葉の上での単性説に近いことを指摘しておかねばならない」と述べている。

歴史[編集]

ローマ教皇レオ1世(Leo I)は、エウティケスの考えを否定する書簡を、コンスタンディヌーポリ総主教フラウィアヌス(Flavianus)に送った。その書簡の内容は次のようなものであった。

  • イエス・キリストは1つの位格しかない。
  • しかし、この唯一の位格の中に互いに融合もせず、混合しない2つの本性がある。すなわち神性と人性である。
  • この2つの本性は、それぞれ固有の能力を有し、異なった作用をするが、唯一の位格のなかに永遠に連繋をなしているものである。
  • 位格の唯一性は、結果としてこの位格に2つの本性の状態と行動とを付与する.これは「イディオマの交流」(神人共通呼称)すなわち両本性の所有するものの交流である。

449年エフェソスで、以上の事柄に関する公会議アレクサンドリア大主教ディオスコルス(Dioscorus)が議長を務めるもとで開かれた。この公会議には、ローマ教皇特使が出席しフラウィアヌスはローマ教皇側として出席した。決議はローマ教皇および総主教フラウィアヌス等を退ける結果となった。フラウィアヌスは虐待を受けて3日後に死に、教皇特使助祭ヒラリアヌス(Hilarianus)は苦難の後逃避に成功してイタリアに帰還した。直ちに教皇レオ1世は司教会議を招集し、このエフェソス公会議を無効とした。この公会議は「エフェソ強盗会議(Robber Council of Ephesus)」とも呼ばれる。後に東ローマ皇帝マルキアヌス(Marcianus)によってカルケドン公会議が開かれ、エウティケスの考えは公式に異端として排斥されることとなった。

 

  1. ^ a b c 『キリスト教大辞典』(144頁、321頁、322頁、教文館、昭和52年改訂新版第4版)
  2. ^ Monophysitism - OrthodoxWiki
  3. ^ フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p176 ISBN 9784764240353 においては、エウテュケスが最初に単性論を提起した人物とされている。
  4. ^ シリア正教Q&A