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利用者:SASAKI Ichiro/sandbox

ここでは、アイン・ランド(Ayn Rand)関連項目の下書きを行っています。


われら生きるもの (1942年の映画)[編集]

われら生きるもの
オリジナル:「Noi vivi」「Addio Kira!」(2部作)
再編集版:「We the Living」
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ロッサノ・ブラッツィとアリダ・ヴァリ
監督 ゴッフレード・アレッサンドリーニ
脚本 アイン・ランド
原作 アイン・ランド『われら生きるもの』(1936年)
出演者 アリダ・ヴァリ
ロッサノ・ブラッツィ
フォスコ・ジャケッティ
音楽 レンツォ・ロッセリーニ
撮影 ジュゼッペ・カラチオロ
編集 エラルド・ダ・ローマ(オリジナル)
エリカ・ホルツァー(再編集版)
ダンカン・スコット(再編集版)
制作会社 スカレラ・フィルム
エラ・フィルム
配給 スカレラ・フィルム(オリジナル)
ダンカン・スコット・プロダクションズ(再編集版)
公開 イタリアの旗 1942年(オリジナル)
アメリカ合衆国の旗 1986年(再編集版)
上映時間 オリジナル:94分+96分
再編集版:174分
製作国 イタリアの旗 イタリア(オリジナル)
アメリカ合衆国の旗(再編集版)
言語 イタリア語
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われら生きるもの'』(われらいきるもの、原題: We the Living)は、1942年に『ノア・ビビ』(Noi vivi)と『アディオ・キラ』(Addio, Kira)の2部作として公開され、その後再編集され1986年に再公開された映画である。原作は1936年に出版されたアイン・ランドの小説『われら生きるもの』。監督はゴッフレード・アレッサンドリーニ、主演はアリダ・ヴァリロッサノ・ブラッツィ、フォスコ・ジャケッティ。第二次世界大戦中にイタリアで制作・公開され、ファシスト政権の命令で公開を中止された。その後数十年にわたりフィルムが消失していたが、原作者ランドの関与によって発見・修復され、1986年にアメリカ合衆国で公開された[1]。

キャスト[編集]

  • キラ・アルグノワ : アリダ・ヴァリ
  • レオ・コバレンスキー : ロッサノ・ブラッツィ
  • アンドレイ・タガノフ : フォスコ・ジャケッティ
  • ステパン・ティモシェンコ : Giovanni Grasso
  • パーヴェル・シエロフ : Emilio Cigoli
  • ソーニャ : Cesarina Gheraldi
  • ビクトル・ドナエフ : Ario Pisu
  • カープ・モロゾフ : Guguelmo Sinaz
  • アレクサンドル・アルグノフ : Gero Zambuto
  • ワシリ・ドナエフ : Annibale Betrone
  • マリア・ドナエワ: Elvira Betrone
  • マリーシャ・ラブロワ : Sylvia Manto
  • リディア・アルグノワ : Claudia Marti
  • ガリーナ・アルグノワ : Evelina Paoli
  • トーニャ : Gina Sammarco
  • GPU長官 : Lamberto Picasso
  • サーシャ・チェルノフ : Sennucoio Benelu
  • アシア・ドナエワ : Gioia Collei
  • イリーナ・ドナエワ : Bianca Doria

スタッフ[編集]

監督のゴッフレード・アレッサンドリーニは、ベニート・ムッソリーニ政権時代に非常に成功した監督だった。アレッサンドリーニの映画は極度のリアリズムを特徴としており、戦後盛んになったネオレアリズモ運動の先駆けとして賞賛されてきた。1930年代はじめにハリウッドMGMスタジオに短期滞在し、初期にはハリウッドの影響を受けた作品を撮っていたが、戦争の潮流により映画制作の焦点が変化すると、ミュージカル・コメディーから歴史ドラマやイデオロギー・プロパガンダに移行し、成功を収めた。

制作の経緯[編集]

背景[編集]

この映画のオリジナル版は、1942年にスカレラ・フィルム社によって制作された。原作の小説『われら生きるもの』は1937年にイタリア語版が出版され、ベストセラーになっていた。小説『われら生きるもの』は、人間の自由を奪う国家支配の下で主人公が自分自身の生を生きようともがく物語だったため、ローマのファシスト政権当局からは政治的やっかいものと見なされていた。この小説の映画化は、ベニート・ムッソリーニの息子を通じた口利きでようやく許可された[2]。当時のイタリアの一流映画監督の一人だったゴッフレード・アレッサンドリーニと彼の若き助監督アントン・マジャノ(Anton Majano)は、この作品が政治的に危険な問題に触れていることはわかっていた。しかしこの物語で批判的に描かれていたのは、当時イタリアの戦時敵国だったソビエト連邦だったので、作品の映画化によって当局から攻撃されることはないと予想した[3]。

権利および脚本[編集]

スカレラ・フィルム社は、原作者のアイン・ランドから映画化権を取得しないままこの小説の映画化に着手した。原作者アイン・ランドが住むアメリカ合衆国は、当時イタリアと戦争中であった。ファシスト政権の文化大臣は、こうした権利をめぐる敵国との交渉を特別法で規制しており、映画化権の購入は不可能であった[4]。このためこの映画は、原作者の許可を受けることなく、原作者に知られることさえなく制作された。その後も原作者への補償は試みられなかった[5]。 最初に2人のイタリア人小説家が脚本を書いたが、アレッサンドリーニ監督はこの脚本を却下した。既に制作スケジュールは決まり俳優の手配も済んでいたため、アレッサンドリーニ監督とマジャノ助監督は、完成された脚本なしに撮影を開始することを決めた。脚本は撮影の前日に書かれたり、原作の小説からそのまま流用されたりすることも多かった。このためこの映画『われら生きるもの』は、通常の小説の映画化に比べて、はるかに原作に忠実な映画となった。 完成された脚本がないまま撮影を開始したため、撮影されたフィルムは、1本の映画にまとめられないほどの長さになった。このためこの映画は、『ノア・ビビ』と『アディオ・キラ』の2部作として公開されることになった[4]。

キャスティングおよび撮影[編集]

主演に選ばれたアリダ・ヴァリロッサノ・ブラッツィ、フォスコ・ジャケッティの3人は、当時のイタリアで最も観客を呼び、最もギャラの高いクラスの俳優だった。エキストラの多くは、当時ローマに住んでいた白系ロシア人亡命者だった。美術を担当したスタッフ達もロシア生まれだった。戦時中でロケの許可を得るのが難しかったため、屋外シーンも含めて、撮影はすべてスカレラ・フィルム社の防音スタジオに作られたセットで行われた。

公開と反響[編集]

1942年9月14日、ヴェネチア国際映画祭(Venice Film Festival)でこの2部作映画の初公開プレミア上映会が行われた。ローマでこの映画が公開されると、興行は大成功を収めた。当時としては先進的だった知的で性的に独立したヒロインの描写は、議論の余地あるものと見なされた。

検閲[編集]

公開に先立ち、この映画は政府の検閲を受けかけた。フィルムの編集中、それまでに撮影した素材を見せるように官憲から要求されたが、スタッフ達は問題になりそうなシーンを隠して対処した。この映画の公開が許可されたのは、物語の舞台がソビエト連邦であり、直接批判されているのはソビエト連邦の体制だったからである。この映画は「イタリアで公開され、2ヶ月間にわたって上映され興行的に成功を収めていたが、やがてイタリアの新聞各社がこの映画は反ファシスト的であると批判し始めた--本質的には実際そうだった」[6]。親ファシスト的なセリフもいくつか追加されていたものの、この物語は共産主義の批判であるだけでなく、ファシズムの告発にもなっていた。最終的に、ファシスト政府はこの映画の上映中止を命じ、配給も禁じた。さらにフィルムの廃棄も命じれた。フィルムを守るため、スカレラ・フィルム社のスタジオ・チーフのマッシモ・フェラーラ(Massimo Ferrara)は、オリジナルのネガを信頼できる友人に頼んで隠し、当局には別の作品のネガをこの映画のネガと偽って送った[3]。

消失と再発見[編集]

戦後、ランドは原作者の自分に無断で制作された映画『われら生きるもの』の存在を知った。ランドはこの映画を気に入り、感銘を受けたものの、親ファシスト的なセリフの追加によって自分のメッセージが歪められていることには、非常に憤慨した(ジョン・C・ガルへの手紙で言及されている)[7]。この映画の再公開を目指す動きもあったが、ランドが著作権の譲渡を拒否したため、実現しなかった。1950年代始めにはスカレラ・フィルム社が倒産し、この映画のフィルムは行方不明になった。 1968年の夏、アイン・ランドの代理人を務める弁護士エリカ・ホルツァー(Erika Holzer)とヘンリー・マーク・ホルツァー(Henry Mark Holzer)の努力により、失われていたこの映画のフィルムがイタリアで再発見された。古いイタリア映画のフィルムを多数所有していた法人が、この映画のオリジナル・フィルムを所有していた[3]。ホルツァー夫妻はオリジナル・フィルムのコピーを米国に持ち帰った。

改訂と再公開[編集]

その後間もなく、ダンカン・スコット(Duncan Scott)がアイン・ランドと共にこの2部作映画の再編集に着手した[8]。この再編集によって映画『われら生きるもの』は1本にまとめられ、英語の字幕が付けられた。2本で4時間あった上映時間をより鑑賞しやすい3時間に圧縮するため、いくつかのサブプロットは削除された[9]。ランドのメッセージを歪めていた親ファシスト的なプロパガンダも削除され、ランドの原作により忠実な映画になった[10][11]。ホルツァー夫妻とダンカン・スコットによって制作された再編集版の映画『われら生きるもの』はランドと彼女の遺産管理団体に承認され、1986年に最公開された[12][13]。 再編集版は1986年のテルライド映画祭(Telluride Film Festival)で初公開された。これは第二次世界大戦後にイタリア国外でこの映画が公開上映された初めての機会だった[14]。その後間もなく米国、カナダ、およびその他の国々で劇場公開された。 2009年にはこの映画のDVDがダンカン・スコット・プロダクション(Duncan Scott Productions)から発売された。 2013年には日本語字幕付きDVD(字幕訳:脇坂あゆみ)がアトランティスから発売された。

肩をすくめるアトラスの登場人物一覧[編集]

その他の登場人物[編集]

その他[編集]

ダグニーの父[編集]

ダグニーの母[編集]

Mrs Taggart

ギルバート・ヴェイル夫妻[編集]

Mr. and Mrs Gilbert Vail

肩をすくめるアトラスの用語一覧[編集]

肩をすくめるアトラスの用語一覧(かたをすくめるアトラスのようごいちらん)では、アイン・ランドの小説『肩をすくめるアトラス』に登場する用語について記述する。

組織[編集]

企業[編集]

タッガート大陸横断鉄道
Taggart Transcontinental
ダンコニア銅金属
d'Anconia Copper
サン・セバスチアン鉱山
ワイアット石油
Wyatt Oil
リアーデン・スチール
Rearden Steel
共同製鉄
Associated Steel
フェニックス・デュランゴ
ハモンド自動車
Hammond Cars
ストックトン鋳造所
Stockton Foundry
ニールセン・モーター
Nielsen Motors
ダナガー石炭
Danagger Coal
マーシュ電器
Marsh Electric
サンダース航空機
Sanders Aircraft
連合機関車製作所
United Locomotive Works
ジョン・ゴールト株式会社
二十世紀モーター社
Twentieth Century Motor Company
連合石炭社
Confederated Coal Company
アマルガメイティド転轍信号機製作所
クイン・ボールベアリング社
Quinn Ball Bearing Company
人民抵当社
共同国民銀行
Community Bank of Madison
アマルガメティッド事業社
Amalgamated Service
アクミ自動車
Acme Motors
アトウッド電力
Atwood Light and Power Company
大西洋南部鉄道
Atlantic Southern Railroad
エイヤール・ミュージック社
Ayers Music Publishing Company

官公庁[編集]

国家科学研究所
State Science Institute
経済企画国家資源局
Bureau of Economic Planning and National Resources
統一評議会


教育機関[編集]

パトリック・ヘンリー大学
ユタ工科大学
Utah Institute of Technology


事業者団体[編集]

全米荷主連盟

労働組合[編集]

リアーデン・スチール労働組合
アマルガメイティッド全米労働組合


非営利組織[編集]

世界発展の友

地理[編集]

国家[編集]

メキシコ民国
ドイツ民国
People's State of Germany

[編集]

コロラド州


その他[編集]

ゴールト峡谷

鉄道[編集]

路線[編集]

サン・セバスチアン線
リオ・ノルテ線

[編集]

タッガート・ターミナル
ウィンストン駅
ローレル駅

施設[編集]

タッガート・ビル
タッガート・トンネル
シルバースプリング


列車[編集]

コメット

その他[編集]

凍結列車

規制・法令[編集]

共食い防止協定
Anti-dog-eat-dog Rule
機会均等化法案
Equalization of Opportunity Bill
政令第一〇-二八九号
Directive 10-289
鉄道統一計画


発明品[編集]

リアーデン・メタル
モーター
プロジェクトX
フェリス説得機