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利用者:SHINOBU ITO

伊東忍(いとう しのぶ)[編集]

神奈川県大磯町生まれ(1951-) 1951年1月28日生まれーは、日本を代表するジャズーフュージョン ギタリスト
中学時代に自己のグループを組み演奏を始め、大学時代にプロの道に入り1975年の初渡米をきっかけに米国永住を決意。1977年からニューヨークに移住している。 ハードバップからフュージョンまで主にエレクトリック ギターで幅広いスタイルをカバーするギタリストだが、最近ではそれに加え、ジャズのインプロビゼーションの手法をクラッシック音楽の作曲家たち( Enrique GranadosIsaac Albéniz,Villa-Lobosなどが、特にクラシカルギターのために書き下ろした数多くの作品内に、それぞれの原曲のイメージを損なうことなくジャズ インプロビゼーションをする部分を新たに書き加えることによって、それら二種の音楽ジャンルを一つに融合させたその独特のコンセプトと、今までのジャズギター インプロビゼーションの概念をさらに広げたその功績が評価され、またエレクトリックギターとクラシカルギター両方を巧みに弾きこなすことでも注目されているギタリスト・作曲家である。

略歴[編集]

<日本時代>[編集]

小学生時代から西洋音楽に魅了されレコード収集を始め、13歳から父親のギターレッスンを受ける。 中学時代にポップグループを組み、文化祭や街のイヴェント等で演奏し、高校では軽音楽部に所属。ウエス・モントゴメリーを聴きジャズギターに興味をもつ。東海大学電子工学科に入学し東海大学ジャズ研究会に所属しながらギターの潮先郁夫氏に師事。 大学在学中からプロの道に入り、キャバレー、クラブ、スタジオ、TV出演などで活動し始めるが1975年の初渡米で米国永住を決意。

一旦帰国後、木村芳子グループに在籍。 六本木 J&Bを演奏活動の中心にテテ・モントリュー
スタンリー・バンクス、ビル・ライケンバック、ロニー・フォースター、峰厚介、中村誠一向井滋春土岐英史、植松孝夫、小曽根実等と共演しながらコンサートやスタジオ等で活動。
  1977年、ジョージベンソン グループ日本公演のため来日していたバックアップ メンバー等と共演する機会があり、その中でも特にドラムのデニス デイビスからのニューヨークへの誘いがやがて永住することになる大きなきっかけとなる。 この年スイング・ジャーナル誌日本人ジャズメン人気投票ギター部門に初登場。

<ニューヨーク移住後>[編集]

1978 ニューヨークでは最初は主に、レジー・ワークマンが音楽監督を務めるラージ アンサンブルのメンバーとして ロビン・ユーバンクス等とブルックリンにある、ミューズ音楽院主催のコンサートなどに出演しながら 中村照夫 & ライジング・サンのメンバーとして
当時のメンバー、ボブ・ミンツァー等としばらくニューヨーク周辺で活動し、同時にリッキー・フォードや当時ニューヨークに滞在していた中村誠一のグループでも活動。

1981年 山本剛のアルバム[P.S.I LOVE YOU]に中村照夫、中村誠一、ジム・マックニーリー等と共に参加。その間、ジョー・ジョーンズ・ジュニアー、サディク・ハキム、 ジョン・オー、トミー・タレンティーン、ケニ―・カークランド等バップからモダンまで多くのミュージシャンと共演する機会を得た。

またT.M.スティーブンス、カイル・ヒックス、ジーン・ウイリアムスよりなる最初の自己のフュージョン・グループ<TO BE TRUE>を初めに、何度かグループを結成して、 BLUE NOTE55BAR、 ANGRY SQUARE、PAT‘s、ERICk'Sなどに出演。
この後もバレリー・ポモマレフ、ロニー・プラキシコ、エディー・ヘンダーソン、ロニー・スミス、ケニー・デイビス、ジェフ・ウイリアム、鈴木良雄等多くのストレイト アヘッド ジャズ ミュージシャンとも共演した。

また当時ベルギーから来ていたピアニスト、アレンジャーのクリス・デフォートの結成した10ピース・バンドの録音にマイク・フォーマネック、ビンセント・へリング、ジュディー・ニーマック等と共に参加。

1988年 オリジナル曲がビルボード誌のソングコンテストに入選しカナダでも著作権を申請。

1991年 初リーダー作「SAILING ROLLING」を発表。 メンバーはトム・ハレル ダニー・ゴットリーブ,マーク・ソスキン、ゲイリー・キング他、

またこの頃より演奏場所をブルックリンに移し、地元のミュージシャンを中心にアントニオ・ハート,マーク・シム、ビンセント・へリング、アルベスター・ガーネット、ロドニー・グリーン、ケンヤッタ・ビーズリー、レスター・ブーイ、ティム・ペリーマン等 若手から熟練まで、多くのミュージシャン達と共演。

1997年、エリック ワイアットのデビュー作「GOD SON」をプロデュースしながら録音にも参加。メンバーはダン・コステルニック、マーク・ソスキン、ルーファス・リード、アル・フォスター他。

ジム・スナイデロのジャズ教則本Jazz Conceptionシリーズ、(ATN出版社)の翻訳を手がける。

2002年 CD「ONE LIFE TO LIVE」を発表。 メンバーは島健,土岐英史、高水健二、渡嘉敷祐一、南部昌江。

またこの年カナダのモントリオール・ジャズフェスティバルに、ギタリスト、 RYO KAWASAKIとのDUOで出演。

2003年 CD「A TRIBUTE TO BARDEN POWELL&ANTONIO  LAURO」を発表。メンバーはJAKI K,橘佳子,YAYOI。

2005年 中村誠一とのニューヨークでのデュオ録音「SERENATA」を発表。

また、この年より2年間洗足学園音楽大学 ジャズ科の講師を務める。

2006年 この時期は自己の率いるグループ<RAMONADA>で代官山に開店したクラブ「CANDY」のオープニング レセプションを務めると同時に、以後この場所を演奏活動の中心とした。


この年クラッシックギターのみでの演奏CD 「MUSICA PARA ENAMORADOS」を発表

2009年 再びニューヨークに戻り活動中。


== ディスコグラフィー ==

AS A LEADER 

「SAILING ROLLING」1991年
「ONE LIFE TO LIVE」2002年
「A TRIBUTE TO BARDEN POWELL&ANTONIO LAURO」2003年
「SERENATA」2005年
「MUSICA PARA ENAMORADOS」2006年


AS CO-LEADER

「SERENATA」2005年 

AS A SIDE MAN

[P.S. I LOVE YOU] 山本剛 1981年
[LOOKING AROUND ] クリス・デフォート 1990年
[LUCKY YOU ] クリス・デフォート 1990年
[GOD SON] エリック ワイアット 1997年 

<主な参加グループと録音物>[編集]

レジー・ワークマン音楽監督・ラージ アンサンブル(1978)
中村照夫 & ライジング・サン バンド・(1978)
中村照夫ーEVERY TIME IS THE LAST TIME・アナログ音源(1978)
SHINOBU ITO GROUP・TO BE TRUE・アナログ音源(1984)
MARCI &THE STONE CRUSHERS・アナログ音源(1985)
ATSUKO YUMA・アナログ音源(1987)
中村誠一 グループ・(1980)
山本剛・アルバム(1981)
クリス・デフォート ラージアンサンブル・アナログ音源(1990)
エリック ワイアット グループ・(1996)
エリック ワイアット・CD(1997)
RYO KAWASAKIモントリオール・ジャズフェスティバル・(2002)

<その他の活動>[編集]



ビルボード誌主催ソングコンテストにオリジナル曲が入選。
米国ASCAP
カナダで著作権申請・(1988)
ジャズ教則本 Jazz Conceptionシリーズの翻訳・ (1999)
洗足学園音楽大学ジャズ科講師・(2005-2007)

<主な共演者達>[編集]



日本で
山本剛木村芳子中村誠一向井滋春土岐英史峰厚介島健高水健二渡嘉敷祐一南部昌江鈴木良雄テテ・モントリューDennis_DavisRonnie_FosterStanley Banks

主に米国で
中村照夫Phillip Woo川崎燎Bob_MintzerKris DefoortGene WilliamsT.M.StenensKenny KirklandKenny DavisLonnie PlaxicoLonnie SmithVincent HerringJudy NiemackMike Formanek
Kenny DavisAntonio Hart鈴木良雄山本剛Gary KingMark SoskinTom HarrellDanny GotliebAl FosterRufus ReidDick OattsMyra Casales

外部リンク[編集]