利用者:SWRB/sandbox/626
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つく柱(撞柱)
[編集]高さ14メートル。つく柱は龍を表しているとも言われ、東側が紺の木綿布(龍の背中)、西側は白の木綿布(龍の腹)により覆われている。柱の頂上には横木が組まれており、北側には轡、南側には馬の尾と言われる紺染の麻糸の房が垂らされている。横木の上には直径120センチ、高さ85センチほどのサンダワラを120枚重ねて作られた円座が置かれており、白布で覆われている[1]。
舞男
[編集]舞の演じ手である舞男は、つく柱近くにある蛙宿にて唐草模様の筒袖襦袢に裁着袴の衣装を纏う。また、顔の前に赤い布を垂らし、後ろには様々な色の紙を貼り付け鱗に見立てた白い布を垂らした雨蛙の被り物を被り準備を整える。その後、八坂神社仮宮に赴き、神主よりお祓いと御神酒を受けた後に弓矢を神主より手渡され、お囃子に合わせて、つく柱に登る[2]。 雨蛙の面については龍ヶ崎に伝わる『雨蛙のフク伝説』と関係があると考えられている。「フクはかつて、龍ケ崎に住んでいて洪水のときには水をのみ込み、日照りの時には水を吐き出して雨を降らせ、農民を助けた」という伝説である[3]。
歴史
[編集]詳しい起源は不明である。年代の記された資料としては1792年(寛政4年)の『天王社祭礼式記帳』という古文書に「上町半助」という舞男の装飾に関する記述が確認されており、舞男が被った古い面に「天王町安政2年(1855)乙卯6月吉日 上辻中下組」と記された二点が確認されている。 また、八坂神社は同市の上町に在るが、龍ケ崎城主の土岐胤倫により1568年(永禄11年)に創建された頃は祇園祭の際に御仮屋が置かれる根町に有ったと推定されることから、その頃から行われていたのではないかとも伝えられる[4]。