利用者:Sanjo/平和台公園
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平和台公園(へいわだいこうえん)は、日本の宮崎県宮崎市の丘陵地にある都市公園。宮崎県総合文化公園とともに『パークマネージメント宮崎』が管理する。
平和の塔(八紘一宇の塔)があることで知られる。
歴史
[編集]「紀元2600年記念事業」として宮崎県奉祝会が中心となり、『八紘之基柱』(あめつちのもとはしら)の建設と周辺広場の造成を実施。総工費67万円、作業員延べ66,500人をかけて1940年11月25日に完成した。ところが、太平洋戦争後の1945年8月に「戦争目的に利用された」として「八紘一宇」の文字と荒御魂像が取り除かれ、名称も『平和の塔』と改められた。
1957年4月9日に都市公園として指定されることにより、都市公園としての整備も進められる。これに伴い平和の塔の復元が決定され、1962年10月5日に荒御魂像が、1965年1月30日には八紘一宇の文字がそれぞれ復元された。1964年の東京オリンピックでは平和の塔が聖火リレーの第2スタート地点となった。
現在では平和の塔が宮崎県の代表的な観光地のひとつとして、運動公園などが地元住民のレクリエーション施設として機能している。
施設
[編集]- 平和の塔
- 高さ36.4メートル、面積1,070平方メートル、体積834立方メートル。世界各地の切石1,789個(縦45センチメートル、横60センチメートル)を含む石材で構成されている。
- 塔は御幣を表している。正面には秩父宮雍仁親王による「八紘一宇」の文字が刻まれており、四隅には正面(東側)から時計回りに『奇御魂』(くしみたま)、『荒御魂』、『和御魂』(にぎみたま)、『幸御魂』(さちみたま)の四魂像(信楽焼)が配置されている。内部には天孫降臨や波限の産屋、神武天皇即位、葦原中国平定、明治維新、世界地図、紀元2600年が描かれたレリーフがあるが、一般公開はされていない。
- 設計は日本サッカー協会のシンボルマーク「八咫烏」を制作したことで知られる彫刻家、日名子実三(ひなこじつぞう)が担当した。
- 周辺広場を含めた面積は9,900平方メートル(3,000坪)、芝生部分は紀元2600年に合わせて2,600坪。
- はにわ園
- 1962年3月31日に完成。地元住民向けのアトリエとしても機能する『はにわ館』と400体の埴輪のレプリカが園内に点在する。
- 運動広場
- 公園の北側に整備。アスレチック広場と人工草スキー場が隣接する。
- レストハウス
- 公園の南側の第一駐車場に隣接。『森のレストラン平和台』からは宮崎市街地を一望することができる。
- せせらぎ水路
- 公園内の中央を横断するかたちで越ヶ迫池に注ぐ。
- 自然散策路
- 園内を周遊するかたちで複数のコースが整備されており、展望デッキが3ヶ所設けられている。
- 駐車場
- 南側に第一駐車場、西側に第二駐車場、北側の運動公園隣に第三駐車場が整備されている。
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アスレチック広場と運動広場
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人工草スキー場
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はにわ園
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レストハウス
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せせらぎ水路
テレビ局の送信所
[編集]NHK宮崎放送局と宮崎放送がテレビ放送を開始するにあたって、送信所の設置地点として当初平和台が予定地とされていた。ところが、平和台は海抜高度が60メートル程度ということもあり、中継局を大量(100局ほど)に設置する必要があることが予想された。このことから、2社は送信所を田野町の鰐塚山頂に設置することに決定した。
関連項目
[編集]- 日比谷公園 - 東京都千代田区。姉妹公園のひとつ。
参考文献
[編集]下記のほか、現地にある案内板の記述も参考にした。
- 『宮崎放送三十年史』 宮崎放送、1984年。
- 『県立平和台公園「平和の塔」について』 - 「はにわ館」内で無料配布される資料。
- 『宮崎県総合文化公園 県立平和台公園』 - 管理業者『パークマネージメント宮崎』によるパンフレット。
外部リンク
[編集]- 平和台公園 総合文化公園(管理業者『パークマネージメント宮崎』による公式サイト)
- 宮崎県都市公園ホームページ