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利用者:Setu/日本の歴史

日本の宗教の初期の時間的な流れを書いてみたくなりました。

  • 縄文時代 - これは日本独自の文化といえるのでは?

食用の実が取れる木を育てていたし、農業もある程度行っていたというのが最近分かってきたこと。 後期には稲を畑で作っていたらしい(陸稲)。

これらの文明は、中国/朝鮮から離れていた地域:沖縄や東北、北海道にしばらく残っていて、最終的に、沖縄の琉球、北海道のアイヌにだけ残った。

  • 弥生時代 - これは中国や朝鮮からの移民が増えて来て、指導的な立場にいる人達は、中国/朝鮮の文化をもっている。縄文からの人々も同化されて行くし、逆に新しい人々も縄文からの文化を取り込んで行き、新しい日本的な文化、新しい日本語などが出来て行く。

稲作と一緒に青銅、鉄が入って来る。

朝鮮の北にあった楽浪郡からの影響は見逃せない。

出来る。楽浪郡には当時世界最高レベルにあった中国文明が移植された。

  • この楽浪郡と、出雲、九州北部の間に交流があった証拠がいくつも見付かって

いる。出雲は楽浪郡と交流を続け力をつけながら山陰の支配をしていた。同様な ことが九州北部についても言えると思われる。

高句麗によって滅ぼされ,ここの知識人や技術者が職を失う。

この間がちょっと長すぎるなあ。約二百年間。

この間を埋める何かを見付けなくちゃ。楽浪郡に仏教が来ていたかどうかを調べ てみる必要がある。

この間、神道がまとめられていたので、それをここにいれてみよう。

このあと、鎌倉時代直前になって鉄の生産が活発になると、土地の開発や鉄の道具を政府(?)に頼る必要がなくなって、より個人性の強い文化へと変わって行く。この結果関東に自分達で開墾した土地を持ち、その土地を守る武士団が出来て来て、それが鎌倉革命へと繋がって行く。

この結果、次のレベルの宗教である 806年 最澄 比叡山延暦寺を開き天台宗を始める。平安京への悪霊を封じ込めた。法華経を中心とする。止観によってとなることを説く大乗仏教

  • 819年 空海、高野山を開く。(真言宗)を講じる
  • 835年 空海、高野山奥の院で入定。

このあと、鎌倉時代直前になって鉄の生産が活発になると、土地の開発や鉄の道具を政府(?)に頼る必要がなくなって、より個人性の強い文化へと変わって行く。この結果関東に自分達で開墾した土地を持ち、その土地を守る武士団が出来て来て、それが鎌倉革命へと繋がって行く。

この結果、次のレベルの宗教である 禅宗臨済宗曹洞宗)、浄土宗浄土真宗日蓮宗 へと繋がって行くのだね。