利用者:Setu/日本の歴史
日本の宗教の初期の時間的な流れを書いてみたくなりました。
- 縄文時代 - これは日本独自の文化といえるのでは?
食用の実が取れる木を育てていたし、農業もある程度行っていたというのが最近分かってきたこと。 後期には稲を畑で作っていたらしい(陸稲)。
これらの文明は、中国/朝鮮から離れていた地域:沖縄や東北、北海道にしばらく残っていて、最終的に、沖縄の琉球、北海道のアイヌにだけ残った。
- 弥生時代 - これは中国や朝鮮からの移民が増えて来て、指導的な立場にいる人達は、中国/朝鮮の文化をもっている。縄文からの人々も同化されて行くし、逆に新しい人々も縄文からの文化を取り込んで行き、新しい日本的な文化、新しい日本語などが出来て行く。
稲作と一緒に青銅、鉄が入って来る。
朝鮮の北にあった楽浪郡からの影響は見逃せない。
出来る。楽浪郡には当時世界最高レベルにあった中国文明が移植された。
- この楽浪郡と、出雲、九州北部の間に交流があった証拠がいくつも見付かって
いる。出雲は楽浪郡と交流を続け力をつけながら山陰の支配をしていた。同様な ことが九州北部についても言えると思われる。
高句麗によって滅ぼされ,ここの知識人や技術者が職を失う。
この間がちょっと長すぎるなあ。約二百年間。
この間を埋める何かを見付けなくちゃ。楽浪郡に仏教が来ていたかどうかを調べ てみる必要がある。
この間、神道がまとめられていたので、それをここにいれてみよう。
- 538年 公式な仏教伝来。欽明天皇の時代。
- 585年 飛鳥に皇居が初瀬から移動され最初の朝廷が出来る。
- 592年 推古天皇が即位、甥である聖徳太子が皇太子となる。
- 593年 聖徳太子が摂政となり天皇を補佐した。
- 593年 当時の大阪の港近くに四天王寺が、聖徳太子、蘇我馬子によって日本仏法最初の官寺として建立。これは日本に来た外国人に日本の文化度を示すため。
- 596年 法興寺(飛鳥寺)を飛鳥に建設。
- 604年 聖徳太子が憲法十七条を制定。天皇を中心とする中央集権体制の確立を目指した。
- 607年 小野妹子が隋に送られた。
- 607年 法隆寺が聖徳太子によって建立される。奈良県生駒郡。
- 622年 聖徳太子没。
- 623年 法隆寺の釈迦三尊像完成。
- 639年 百済宮(西)、百済寺(東)の完成。百済寺には九重の塔があった。
- 680年頃、役行者が大峯山を開き、修験道の基礎を作る。
- 694年 飛鳥から日本で最初に計画された都である藤原京に遷都。
- 703年 役行者肉体を離れる。
- 708年 藤原京から平城京(奈良)への遷都
- 752年 東大寺完成。大仏の開眼は、インド人僧侶の菩提セン那(ボーディセンナ)により行われた。
- 784年 平城京から長岡京に遷都
- 794年 長岡京から平安京(京都)に遷都。
- 806年 最澄 比叡山延暦寺を開き天台宗を始める。平安京への悪霊を封じ込めた。法華経を中心とする。止観によって仏となることを説く大乗仏教。
- 819年 空海、高野山を開く。(真言宗)を講じる
- 835年 空海、高野山奥の院で入定。
このあと、鎌倉時代直前になって鉄の生産が活発になると、土地の開発や鉄の道具を政府(?)に頼る必要がなくなって、より個人性の強い文化へと変わって行く。この結果関東に自分達で開墾した土地を持ち、その土地を守る武士団が出来て来て、それが鎌倉革命へと繋がって行く。
この結果、次のレベルの宗教である 806年 最澄 比叡山延暦寺を開き天台宗を始める。平安京への悪霊を封じ込めた。法華経を中心とする。止観によって仏となることを説く大乗仏教。
このあと、鎌倉時代直前になって鉄の生産が活発になると、土地の開発や鉄の道具を政府(?)に頼る必要がなくなって、より個人性の強い文化へと変わって行く。この結果関東に自分達で開墾した土地を持ち、その土地を守る武士団が出来て来て、それが鎌倉革命へと繋がって行く。