利用者:SilverSpeech/ロシア人物記事執筆コンテスト
e-KTP(インドネシア語:Kartu Tanda Penduduk elektronik)はインドネシアの電子住民登録証。日本語では電子KTPという表記も使用されている[1]。
概要
[編集]インドネシアの身分証。インドネシアで従来使用されていた紙製の住民登録証KTPを刷新する形で導入された[1]。17歳以上の全国民に対してe-KTPの常時携帯が義務づけられている[1]。氏名、出生地、生年月日、性別、血液型、住所、宗教、配偶者の有無、職業、国民背番号NIKが記載されている[1]。また、顔写真、指紋、目の網膜などが記録されている[1]。
歴史
[編集]導入
[編集]e-KTP事業は2010年10月に国会で予算が承認され[2]、2011年に発給が開始された[1]。当初は2012年には稼働する予定であり[3]、2014年総選挙の有権者登録に使用する想定だったが、データを読み取る機器の調達や登録手続きに大幅な遅れが生じたことから導入できず、2015年1月から正式に有効となった[1]。
発給の遅れ
[編集]2016年時点でe-KTPの発給対象となる17歳以上の国民は1億8200万人だが、同年4月時点でe-KTPへの移行が完了しているのは1億5300万人、登録が完了して発給待ちをしているのが500万人、残りの15.9%にあたる2893万8千人が未取得だった[1]。また、未取得者のうち2400万人は従来のKTPも取得していなかった[1]。『コンパス』紙の調査によれば、手続きが煩雑、写真撮影の順番待ち、個人データ読み取り機の故障などが問題点として挙げられている[1]。また、カード不足による未発給も発生している[1]。
汚職事件
[編集]インドネシア政府はe-KTP調達事業の予算として2011年から2013年にかけて5兆3千億ルピアを配分した[2]。だが、そのうち2兆3千億ルピア[注釈 1]が不正流用されたものと推計されている[3][4]。この汚職事件は『日本経済新聞』で「インドネシア史上最大級の汚職事件」[3]、『じゃかるた新聞』では汚職撲滅委員会が追及してきた大型汚職事件の中で損害額が過去最大規模[2]と報道された。また、『じゃかるた新聞』の報道によれば収賄者は閣僚、州知事、国会議長、国会議員、事業者など38人とされている[2]。
2014年4月、汚職撲滅委員会はこの汚職事件の調査を開始した[2]。2016年10月には、内務省人口・住民登録総局長と同総局の住民情報管理・行政局長が逮捕された[5]。その一方で、様々な形で汚職撲滅委員会に対する妨害が行われた[6]。『アジア動向年報』、『じゃかるた新聞』ではスティヤが妨害工作を画策したとしている[7][6]。2017年4月11日、この事件の捜査を指揮していた汚職撲滅委員会の主任捜査官ノフェル・バスウェダンが襲撃され、片目を失明する重傷を負った[8]。また、4月28日に国会は汚職撲滅委員会の組織的問題を明らかにするためとして国政調査権の行使を決定した[9]。
7月、汚職撲滅委員会はe-KTP調達事業の発案者の1人とされる国会議長スティヤ・ノファントを容疑者として指名した[7]。だが、スティヤは予備審理を請求、9月にスティヤの勝訴により容疑は無効となった[5][7]。
8月、e-KTP事業を入札した米国在住のインドネシア人実業家ヨハネス・マルリムが死亡し[7]、ロサンゼルス市警は拳銃自殺として発表した[10]。証人被害者保護局によれば彼は500ギガバイトに及ぶ音声証拠を所持しており[7][10]、『じゃかるた新聞』によると汚職撲滅委員会はFBIの調査協力を得てこの記録を入手した[7]。11月10日、新証拠を入手した委員会は再度スティヤを容疑者として指名し出頭を求めた[5][7]。スティヤは交通事故にあったとして入院したものの、委員会は医療機関の許可を得て11月17日にスティヤを逮捕した[11]。2018年4月24日、ジャカルタ汚職裁判所はスティヤに収賄罪により禁固15年の判決を下した[3]。
抜粋メモ
[編集]国会第2党ゴルカル党首、国会議長のスティヤの汚職容疑が判明してから逮捕されるまで半年以上にわたり汚職撲滅委員会の活動を妨害しようとする動きがあった[6]。
国会第2党ゴルカル党首、国会議長のスティヤ・ノファントが2017年11月に汚職撲滅委員会によって逮捕。当時国会ゴルカル党会派代表だったスティヤは知人の企業がe-KTP導入事業を落札するよう便宜を図り、対価として662億ルピアを受け取り、また国会議員や内務省高官への贈賄の手配で主導的な役割をしていたとされている。この事業の予算5兆9千億ルピアのうち推計2兆3千億ルピアが不正流用された[4]。
過去最大規模の汚職事件になる可能性あり[12]。
汚職撲滅委員会は2014年からこの事件を捜査していた。2016年10月に当時の内務省人口・住民登録総局長と同総局の住民情報管理・行政局長を逮捕。スティヤは事件の中心人物とみられている。スティヤは過去に最低5つの汚職事件への関与疑惑があったが、捜査をかいくぐっていた。パプアで金・銅鉱山を経営するアメリカ系鉱山会社フリーポート社の事業契約延長において、同社幹部と秘密裏に接触して株式譲渡を含めた便宜供与を依頼するなど独自に裏交渉を行っていたことが発覚。議長を辞任したが捜査当局の追及を逃れた。汚職撲滅委員会は2017年7月17日に初めてスティヤを容疑者として氏名、事情聴取のため出頭するよう求めた。スティヤは逆に容疑者指名は不当だとして訴え、9月の判決でスティヤの容疑者指名は取り消された。スティヤは汚職撲滅委員会の権限縮小を企てた。国会は過去に多数の汚職議員の摘発を受けており、スティヤの考えに同調していた。また、警察も過去に高官がしばしば汚職疑惑で摘発されており、警察よりも権限の強い汚職撲滅委員会に不満があった。(スティヤは?)警察に汚職対策特別部隊を設置するよう提案し、委員会の汚職事件に対する捜査権限を奪おうとした。この汚職事件の主任捜査官、ノフェル・バスウェダンが襲撃され片目を失明した。委員会は11月10日に再度スティヤを容疑者として指名し出頭を求めた。スティヤは自作自演の交通事故で入院、逮捕を回避しようとした[5]。
委員会は医療機関の許可を得て11月17日にスティヤを逮捕した[11]。
これによりスティヤはゴルカル党首を退任、国会議長職を失った。党内では2014年の政権参加をめぐる対立が再発した。ジョコウィ大統領はゴルカルとの関係を維持するため、アイルランガ・ハルタルト工業相を党首候補に推した。12月18日の臨時党首選でアイルランガが選出、スティヤの後任になりゴルカルと政権の関係は維持された[13]。
フリーポート・インドネシア社は1967年にフリーポート・マクモラン社の子会社としてパプア州のグラスベルグ鉱山(世界第2位の銅鉱山)で操業開始、1991年にインドネシア政府と鉱業事業契約を締結、2021年まで採掘権を獲得。未加工鉱石の輸出を禁止する2009年新鉱業法(2014年施行)の純度に応じて輸出規制を緩和する措置が2017年1月に期限がきれ、期限切れの1月11日に政府は政令を制定し従来の鉱業事業契約(KK)から鉱業事業許可(IUP)、特別鉱業事業許可(IUPK)への切り替えを条件に一部鉱石の輸出を引き続き認めることにした。また、IUP、IUPKを取得した外国企業は生産開始からの期間に応じて株式をインドネシアシオンに売却するよう定めた。この政令をフリーポート・インドネシアは契約違反として政府と対立した[14]。
交渉の結果、採掘権を2041年まで20年間延長し、株式51%をインドネシア側に売却することが決まった[15]。
国営鉱業持株会社として再編されたインドネシア・アサハン・アルミニウム社(すでに9.36%保有)に41.64%を売却(計51%)、10%はパプア州ミミカ県が所有[16]。
2017年4月11日、汚職撲滅委員会の主任捜査官ノフェル・バスウェダンが襲撃され眼に重傷。4月28日、国会は汚職撲滅委員会の組織的問題をあぶりだすため国政調査権行使を決定。5月1日、警察は電子住民票汚職事件の公判における偽証罪の容疑によりハヌラ党国会議員ムルヤム・ハルヤニを逮捕[8]。
9月29日、南ジャカルタ地裁はスティヤに対する容疑者指名を無効と判断。11月10日、委員会が再度スティヤを指名、17日に逮捕[17]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 日本円に換算すると約180億円。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 毛利春香 (2016年5月4日). “電子KTP2900万人未取得 17歳以上の15%年内発給目指す 公共サービス効率化へ”. じゃかるた新聞 2018年10月30日閲覧。
- ^ a b c d e 配島克彦 (2017年3月10日). “予算3割を不正流用 国会議員ら38人関与か 電子住民登録証 汚職事件初公判”. じゃかるた新聞 2018年10月29日閲覧。
- ^ a b c d “インドネシア、前国会議長に禁錮15年 電子住民票巡る汚職で”. 日本経済新聞電子版. (2018年4月24日) 2018年10月29日閲覧。
- ^ a b 川村晃一 & 濱田美紀 2018, p. 395.
- ^ a b c d 川村晃一 & 濱田美紀 2018, p. 396.
- ^ a b c 川村晃一 & 濱田美紀 2018, p. 390.
- ^ a b c d e f g 配島克彦 (2017年11月17日). “国会議長、最後の抵抗 今度は交通事故で入院 身分証の調達事業汚職事件”. じゃかるた新聞 2018年10月29日閲覧。
- ^ a b 川村晃一 & 濱田美紀 2018, p. 409.
- ^ 川村晃一 & 濱田美紀 2018, pp. 396, 409.
- ^ a b Stefanno Reinard (2017年8月15日). “Indonesia graft witness worried about safety before his death”. Reuter 2018年11月21日閲覧。
- ^ a b 川村晃一 & 濱田美紀 2018, pp. 396, 397.
- ^ 川村晃一 & 濱田美紀 2018, pp. 395, 396.
- ^ 川村晃一 & 濱田美紀 2018, p. 397.
- ^ 川村晃一 & 濱田美紀 2018, p. 401.
- ^ 川村晃一 & 濱田美紀 2018, pp. 401, 402.
- ^ 川村晃一 & 濱田美紀 2018, p. 402.
- ^ 川村晃一 & 濱田美紀 2018, p. 411.
参考文献
[編集]- 川村晃一、濱田美紀「深まるイスラーム保守派と世俗派の溝:2017年のインドネシア」『アジア動向年報』、日本貿易振興機構アジア経済研究所、2018年、389 - 416頁、ISBN 9784258010189、2018年10月30日閲覧。