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Wikipedia:バベル
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sco-1
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This uiser can contreibute wi a laich level o Scots.
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bo-1
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This user is able to contribute with a basic level of Tibetan.
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- java-2
- System.out.println("この利用者はある程度のJavaを理解しています。");
惡 | この利用者は一部の利用者の言うところの悪の共産主義者らしいです。 |
ソプラノ(合唱) | この利用者は合唱で、ソプラノを担当しています。 |
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- 利害関係の無い相手に丁寧語使うの禁止(某ニフティや某匿名掲示板の人達みたいになるのは滑稽だ。それなら最初から丸出しでいきなよ)
誰もウィキペディアを弄ってお金を貰ってる訳じゃないでしょ自分ら。
態度ではなく結果で示すのが美徳というもの。肉体の暴力のないウェブにおいて、全ては話し合いが解決する。丁寧なだけの言葉は心に距離を置き、心と心のぶつかり合いを妨げる。丁寧さを欠いている事を理由に対話を拒否するならばその者は永遠に理解されないだろう。
- 多重アカウントは不要(妙に反応が速い他人は怪しい)
参加者が皆一つの目標に向かうなら、自分を偽る必要はない。ありのままの自分は恥ではない、誇りである。人間は動物なので間違う事はある。それがどうした?人間は動物なのでその都度修正する事が出来るではないか。
- 他者に寛容になる前に話し合うことで理解を深めよ(バカの壁は壊せない)
意見の対立が起きた時、話し合うことができるのは人間の特権である。間違いがあれば指摘をし、論理の飛躍(不適当な場面への論理の応用)があれば指摘し、イデオロギーの偏りがあればその理由を問質す。互いに知り合うことによってのみ真の協同は実現しうる。
- わざと滅茶苦茶高い要求をしてみる(商売の基本でっせ)
自分でも極端だと思う案を出してみる方が他人の反論で丁度良い具合になるだろう。
- 話の通じない相手に会ったときは10年かかってもいいから相手が消えるのを待つ
愛は耐え続けるもの。愛がない只の工作活動でウィキに携わればその者は何れ自ずと活動を止めるだろう。
リンク
/目標メモ(これが埋まった時何年が経過しているか見物ぢゃ!)