利用者:Sketch/ウィキペディアに参加して

私がウィキペディア日本語版に参加したのは2003年2月13日のことです。この前日、スラッシュドット日本語版WikiPedia日本語版 1000ページ突破という記事が投稿されました。ここからリンクをたどってみてみたのですが、当時は、総ページ数が1000という状況が示すとおり、始まったばかりと言って良い状態でした。メインページに示された主要項目にも赤リンクが目立ち、FAQなどの文書は今に輪をかけて存在せず、1月1日から12月31日までの日付の記事が地道に新規作成されつつある、といったような状況でした。ここで私はいくつかIPのまま編集を行ない、その後でsketchというアカウントを取得しました。以後、このアカウントのみで編集をしています。

初期には、本当になんにもありませんでした。「無いよりもまし」をという気持ちで、まずは最低限の情報を、とサミット野球など、新規記事を書いていきました。また、百科事典には必須の事項であろう、と[1]のような形で一覧を作成したりしました。当時、すでにWikipedia:編集の仕方は訳されており、大変役に立ちましたが、どのような項目をリンクにするか、などは全く手探り状態でした。ですから、[[『文藝春秋』]][2]など、今考えるとおかしいこともたくさんやらかしました。

やがて、ウィキペディアの記法にも慣れ、ある程度まとまった事項を書けるようになりました。といっても、一つことをじっくりと調べてから投稿、ということにはなかなかならず、たとえば鬼ごっこかくれんぼじゃんけんといった、記憶に頼って書けるような記事を、それらしく書くにとどまりました。また、当時圧倒的に不足していたプロジェクト関連の文書の翻訳をいろいろとやってみたりしました。ノートを使って(当時はトークページと言っていたはずです)話し合いもいくらか行ないました。そうやって次第にルールと書き方を理解することが出来るようになりました。

また、ウィキならではの他の参加者との協調、ページの変化も経験しました。フェルディナン・ド・ソシュールの生涯を書いたところで一息ついたら、言語理論の項が大量に加筆されたり、太平洋戦争が次々書き換えられていくのを目の当たりにしたりしました。

こうしてウィキペディアに慣れてきた頃、私の実生活に大きな変化が起こり、2003年3月中旬からインターネットそのものに接続できない時期がありました。ネットへの接続は4月頃には復旧したのですが、以前のようにウィキペディアに参加する気にはならず、ja-two.iwiki.icuのサイトを訪れることもなく、一年近くの期間が経過しました。

そんな折、何かを検索したときの結果にウィキペディアが引っかかりました。それをきっかけに、私はウィキペディアを再び見て回りました。前回は読むほどの記事はほとんど無く、書き手としてしか参加のしようはありませんでしたが、一年経ち、プロジェクト全体は見違えるようになっていました。関連文書は整備され、各項目は系統立てられ、多くの秀逸な記事が生まれ、そして初期に私が書き散らした記事が、すばらしく成長していました。私は、それらを読み、平凡な表現ですが大変に感動しました。そして再び編集をするようになりました。後に、この一年近くの間、日本語版の基本的な事項の決定に多くの方が尽力されていたことを知りました。私はいわば「おいしいとこどり」をした訳です。これについては、最初期に参加していた者として、協力できなかったことについて申し訳なく思っています。今後、未策定のルールの明確化などについて、自分なりに出来る貢献をしていくことで、罪滅ぼし(のようなもの)が出来ればよい、と思っています。

今後、ウィキペディア日本語版がどのように発展していくのかは定かではありませんが、このプロジェクトは参加者が増大していかないことには、そうしてその中にすばらしい項目を書いてくださる方々がいなければ、決して発展しないものだと考えています。普通の百科事典でも専門家が何百人と集まって執筆している中、(専門家もいらっしゃるであろうものの)素人が調べた内容を書いていくばかりでは、いつまで経ってもウィキペディア設立の理想である「質量共に最大の百科事典」は完成しないでしょう。私は今後、自分の興味を持った項目について、調べ、学んだ内容を元に記事を書いていくことになるでしょうが、ある程度ウィキペディアに慣れた者に求められるのは、新規参加者がスムーズにプロジェクトに参加できる環境作りとそのガイダンスであると思っています。その人の知識量にかかわらず、一人の人間が百科事典の制作に貢献できる量には限界があります。新たな人が次々と入ってくるようなプロジェクト作りをすることに、私は今後気を配りたいと思います。それにより、すばらしい項目を読むことによって味わえる感動をより多く体験できるようになることを期待します。