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利用者:Tabletaken

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逸話[編集]

蜀漢が滅んだ後のこととして、蜀書後主伝の裴松之註に引く『漢晋春秋』には以下のような逸話が記されている。

宴席で蜀の音楽が演奏されて、蜀の旧臣が落涙していたときにも劉禅は笑っていた。それを見た司馬昭は、「人はここまで無情になれるものなのか。諸葛亮が補佐し切れなかったのであるから、姜維には尚更無理であったであろう」と賈充に語った。

また、司馬昭が劉禅に「蜀を思い出される事でしょうな」と尋ねたところ「いいえ、ここの暮らしは楽しいので蜀を思い出す事はありませぬ」と答えた。これには家来のみならず、列席していた将たちさえも唖然とさせられた。傍に居た郤正は、「あのような質問をされたら、『先祖の墳墓も隴・蜀にありますので、西の国を思って悲しまぬ日とてありませぬ』とお答えください」と諫めた。司馬昭は再度「蜀を思い出されることでしょうな」と質問した。これに対し劉禅は、郤正に言われた通りに答えた。「これはまた郤正殿の言そのままでございますな」と司馬昭に言われ、劉禅は驚いて「はい、仰る通りです」と答えて大笑いになった。司馬昭はこの一連のやり取りに「こんな男が君主では、孔明が生きていたとしても(蜀が滅びる運命は)どうにもならなかっただろう」と嘆き、志半ばに散った蜀の将兵たちを悼むほどだったという。

この逸話から「どうしようもない人物」指す「扶不起的阿斗(助けようのない阿斗)」ということわざが生まれた(「ことわざ」を参照)。

確かにハンニバルはローマを滅亡の渕まで追い込むことに成功した。しかしローマはハンニバルと戦うことで、ハンニバルの包囲殲滅戦術を身につけ、マケドニア戦争やローマ・シリア戦争にも完勝する程の強大な存在となっていた。

National IQ per country - estimates by Lynn and Vanhanen 2006