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[編集]
  1. ^ 永見重成子
  2. ^ 梶川秀澄子、のち離縁
  3. ^ 朝比奈善一子、のち離縁
  4. ^ 保々貞暢子
  5. ^ 奥山重正養子
  6. ^ 宇佐美長往子、のち離縁
  7. ^ 三輪久時子
  8. ^ 小栗正次子
  9. ^ 正治子
  10. ^ 西山昌長子
  11. ^ 西山昌房子
  12. ^ 正要養子
  13. ^ 正庸養子

高峰起(コ・ボンギ、朝鮮語: 고봉기1916年 - 1960年?)は、朝鮮独立運動家軍人朝鮮民主主義人民共和国政治家延安派に属する。

経歴

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1916年、咸鏡南道に生まれる[1]。1935年頃、中国の大学に在学[1]。1937年12月、日中戦争の勃発後に中国中央陸軍軍官学校星子・江陵分校へ入学、1938年5月に卒業した[1]。同年10月、朝鮮義勇隊へ入隊し、1939年初に第2区隊へ配属された[1]。1941年、部隊に従って華北へ移動し、八路軍支配地域へ入る[1]。1944年、太行山にて結成された敵区工作班(責任者:武亭)組織部へ配属され、通信連絡責任者に任命された[1]。1945年初に40人余りの隊員を率いて延安へ行き、そこで第二次世界大戦の終結を迎えた[1]

平北道党組織部長

1948年3月、労働党第2回党大会において中央委員会候補委員に選出[2]

機要室長

1949年、咸北道党委員会委員長[3]

ルーマニア兼ブルガリア大使

1953年8月、労働党中央委員会第6回全員会議において党規約修正委員に選出[4]

1953年10月、外務省副相[5]

1953年12月、平壌市党委員会委員長[6]

1956年4月、労働党第3回党大会において党中央委員に選出[7]

1956年5月、黄海南道党委員会委員長[8]

秘密裁判で銃殺

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 강만길 & 성대경 1996.
  2. ^ 徐 1995, p. 594.
  3. ^ 徐 1995, p. 591.
  4. ^ 徐 1995, pp. 288–290.
  5. ^ 徐 1995, p. 598.
  6. ^ 徐 1995, p. 590.
  7. ^ 徐 1995, p. 595.
  8. ^ 徐 1995, p. 592.

参考資料

[編集]
  • 강만길; 성대경 編「고봉기(高峰起, 1916~?)」『한국사회주의운동인명사전』창작과비평사、1996年、24頁。ISBN 8936470302 
  • 徐東晩『北朝鮮における社会主義体制の成立1945-1961』東京大学、1995年。NDLJP:3127031