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利用者:Takenari Higuchi/sandbox12

日本におけるイスラームの歴史

前史[編集]

『日本書紀』にはペルシアを意味する「波斯」や、アラビアを意味する「大食」などが記されている。また、1217年には仏教僧である慶政上人が中国の泉州でペルシア商人と考えられる人物と出会い、『シャー・ナーメ』の一部が書かれたものを日本に持ち帰った。江戸時代には出島にタイを通じてペルシア商人が訪れ、1617年にはペルシア語との通訳を行うため「モウル通事」が設置された[1]

アラビアで誕生したイスラームは中国や東南アジアまでは到達していたが、日本と直接の接触や交流が始まるのは江戸時代の終わりから明治時代からとなった[2]

明治時代-1945[編集]

明治時代に入ると、日本政府は不平等条約の改正のためエジプトやオスマン帝国に調査団を派遣し始め、日本と中東との直接的な交流が始まった[3]。1876年にはこの調査団に同行していた仏教僧である島地黙雷によって『馬哈黙伝』(マホメット伝)を出版した[3]

最初の日本人ムスリム[編集]

1891年にはオスマン帝国の軍艦であるエルトゥールル号の沈没事故が起こった[4]。エルトゥールル号は日本との条約締結や、パン・イスラーム主義の宣伝のために日本に送られた[3]。野田正太郎が日本人初のムスリムとなった[5]

タタール人の来日[編集]

1917年にロシア革命が発生し、ソビエト連邦が成立した。カザン州などに住んでいたタタール人はハルビンや大連などを経由して日本に移り住んだ[6]。1924年にはムハンマド・ガブドゥルハイ・クルバンガリーが来日した。クルバンガリーはバシキール人であり、バシキール独立運動に参加していた。1920年からは南満州鉄道でソ連の民族問題を研究していた[7]。来日した彼は、1925年1月には東京回教教団を設立し、1927年には滞日タタール人子弟の教育のため代々木上原に東京回教学校を設立した[8]。また、クルバンガリーは後述する東京モスクを設立するために財政界への働きかけを行った[8]

モスクの建設[編集]

1930年代に入ると、日本各地でモスクが建設されるようになった[9]。1935年9月には神戸に住むインド系ムスリムとタタール人ムスリムを中心として、日本最古のモスクである神戸モスクが設立された[9]。1936年には名古屋に住むタタール人を中心として名古屋モスクが設立された[10][注釈 1]。さらに、1938年には東京に東京回教礼拝堂(東京モスク)が建設された[10]

回教工作[編集]

1945年-1974年頃[編集]

イスラームの普及活動を行っていた政府や軍部、右翼団体などの支援がなくなったことで、日本国内のムスリムは自分たちの力で布教活動を行わざるを得なくなった[11]。また、1950年代から1960年代にかけては、山岡光太郎や今泉義雄などの太平洋戦争前からのムスリムが次々と死去した[12]。その一方で、下記する日本ムスリム協会を中心として日本におけるイスラームの基礎が築かれていった[12]

イスラーム団体の設立・来日[編集]

1950年代に入ると、太平洋戦争前や戦中にムスリムとなった日本人を中心としてイスラーム団体が設立された。そのひとつが任意団体である「イスラーム友の会」であり、1952年には日本ムスリム協会と名を改めた[13]。1950年代から1960年代にかけては日本ムスリム協会を中心として日本におけるイスラームの基礎が築かれていき、1961年には現在の山梨県広州市にイスラーム霊園が計画され、エジプトにあるアズハル大学に日本人留学生を送った[14]

日本人ムスリムだけでなく、日本国外からの留学生も布教活動を行った。1961年には留学生を中心としてムスリム学生協会が設立された。また、1968年には日本ムスリム協会に参加していた外国人ムスリムの一部がサウジアラビアからの寄付をもとにイスラミックセンター・ジャパンを設立した[15]

1956年には南アジアで誕生したイスラーム組織であるタブリーギー・ジャマーアト(以下、タブリーグ)が布教活動のために来日した。タブリーグは布教と資金集めのために日本人ムスリムとともに日本全国を回った。これを機にタブリーグは毎年布教活動のために来日するようになった[12]

1975年頃-1980年代前半[編集]

この時期にかけて、日本国内のムスリム人口は3万人に達するようになった[16]。また、これまで日本におけるイスラームの基礎を築いてきた世代が、次の世代の育成のために若い日本人ムスリムをイスラーム諸国へ留学させ始めた[17]

1980年代に入ると、対日外国人の数が増加するようになり、在日トルコ人協会や、在日インドネシア人ムスリム協会などのような、エスニシティをもとにしたイスラーム団体が現れるようになった。また、日本イスラーム団体協議会のように、増えつつあったモスクやイスラーム団体を統括する団体も現れ始めた[18]

日本イスラム教団[編集]

1974年12月に4人の日本人男性が東京モスクでムスリムとなり、1975年から布教活動を開始した[19]。1980年から1983年頃までに活動のピークを迎え、新聞などでも報道されるようになった[20]

1980年代後半-1990年代初め[編集]

東京モスクの閉鎖[編集]

東京モスクは1984年に老朽化のため閉鎖され、1986年に取り壊された[21]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 名古屋モスクは1945年に空襲で焼失した[10]

出典[編集]

  1. ^ 三浦 2013, p. 5.
  2. ^ 三浦 2013, pp. 5–6.
  3. ^ a b c 三浦 2013, p. 6.
  4. ^ 小村 2015, p. 41.
  5. ^ 小村 2015, p. 43.
  6. ^ 小村 2015, p. 46.
  7. ^ 小村 2015, pp. 47–48.
  8. ^ a b 小村 2015, p. 48.
  9. ^ a b 小村 2015, p. 45.
  10. ^ a b c 店田 2015, p. 24.
  11. ^ 小村 2015, p. 51.
  12. ^ a b c 小村 2015, p. 54.
  13. ^ 小村 2015, p. 52.
  14. ^ 小村 2015, p. 53.
  15. ^ 小村 2015, p. 55.
  16. ^ 小村 2015, p. 61.
  17. ^ 小村 2015, pp. 61–62.
  18. ^ 小村 2015, p. 63.
  19. ^ 小村 2015, p. 65.
  20. ^ 小村 2015, p. 66.
  21. ^ 小村 2015, p. 75.