コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:Tcafwt/sub001/001a

蘇啓誠
プロフィール
出生: 1957年8月1日
死去: (2018-09-14) 2018年9月14日(61歳没)
出身地: 台湾省嘉義県竹崎郷東義
職業: 外交官
各種表記
繁体字 蘇啟誠
和名表記: そけいせい
英語名 Su Chii-cherng
テンプレートを表示


蘇 啓誠(そ けいせい、繁体字中国語: 蘇啟誠1957年8月1日 - 2018年9月14日)は台湾の外交官。34歳で国家公務員資格を取得して入庁。日本担当。那覇分処処長を6年務めた後、駐大阪弁事処処長に異動した。同年9月自死。享年61歳。

入庁まで

[編集]

大学時代の教師の熱意に影響され日本語教師を目指すようになる。大学院卒業後、兵役につき83年に除隊、第一製薬の台湾子会社に就職、傍らで非常勤講師を務めた。このころ結婚。 交流協会の奨学金を取得して大阪大学へ留学。二年後、妻も奨学金を取得し京都大学へ留学した。卒業後生活のため大阪弁事処の現地採用に応募し採用される。このとき教師から外交官に方針変更。公務員資格の年齢制限が35歳のため、妻に無理といわれるが独学で2年目に合格。入庁を果たした。

数年事務を経験した後日本へ赴任。

駐日代表処

[編集]

1995年1月-2002年1月 三等秘書、二等秘書

2007年7月-2011年8月 秘書

秘書

[編集]

許世楷(2004年7月5日着任。2008年7月11日退任)

馮寄台(2008年9月27日着任。2012年2月28日退任)

2008年、5月の馬英九国民党政権が成立直後、6月沈没事故が発生。帰台した許世楷が立法院に出席せず即日辞職を求める。 許の帰国から次期大使就任までは副代表の羅坤燦が代任するという事態になっていた。 馮の就任から蘇の異動まで約三年間、馮寄台に秘書として仕えた。馮は日本語を流暢に操るが日常会話程度で、優秀な通訳を欲していた。 馮の回顧によれば、馮は多くの新聞に日本語で寄稿したが、その殆どは蘇と相談しながら執筆したという。 蘇の異動後、馮の帰台後も親交は続き、亡くなるまえに蘇の実家からアボガドが届いたという。 帰国し亜東関係協会で副司長。

亜東関係協会及び外交部亞太司

[編集]

2002年1月-2006年1月 亜東関係協会(現台灣日本關係協會)組長

2011年8月-2013年12月 外交部亞太司副司長(副秘書長)

日台漁業協定

[編集]

副司長として ただし政府レベルでは歓迎されたが八重山の漁民からは不満が噴出している。 蘇もそれは認識していた。

駐那霸弁事処(那覇分処)

[編集]

2006年1月-2007年6月 組長

2013年12月-2018年6月 処長

から東京異動までxx年、処長としてはの赴任からまでxx年那覇での勤務となった。両岸関係が冷え込む一方で日台関係はさらに良好に促進した。台湾では大陸側の習近平政権への反発を背景に、2014年地方選挙国民党大敗に続き、2016年1月、蔡英文が総統選に勝利し、民進党政権発足が決定。5月20日の政権交代を目前に沖ノ鳥島沖台湾漁船拿捕事件が発生したが、6月には元行政院長で、総統選の経験者でもある謝長廷が駐日代表として赴任した。

2016年7月30日石垣島を訪問

2018年6月22日那覇市に到着

要人李登輝元総統の2度の来沖もあり、謝大使と王輝生が随行していた。王と親交を結んだのはこのときである。

那覇日台親善協会設立

[編集]

民間レベルでの親善を目的にした団体はすでに八重山日台親善協会があったが県内全域を対象とした組織はなかった。 最初の赴任時から親交のあった元小学校校長の伊藝美智子に提案。自身も準備会顧問として尽力 2015年11月17日 当初150人程を見込んでいたが設立総会時には個人会員300人法人会員90人と想定以上の規模になった。

論壇に寄稿

[編集]

地元紙「沖縄タイムス」「琉球新報」のコラム「論壇」に積極的に投稿。400本。沖縄県議会で議題に取り上げられたこともある。

早産した台湾人夫妻を支援

[編集]

夫妻で沖縄旅行中の台湾人女性が産気づき帝王切開で出産した。さいわい命に別状はなかったものの妊娠7か月での早産であり、未熟児としてしばらく入院が必要とされた。しかし外国人のため保険が適用できず、最低600万円と見積もられた入院費が支払い困難な状態となった。華僑協会が義援金を募集蘇は支援義援金は最終的には2000万近く集まったとみられ、夫妻が無事帰国後、外国人医療のために寄付された。 1100万円の寄付は基金として運用され 当時日本では台湾含む中華圏、アジア圏からの外国人旅行者が急増しており、医療費未払い、あるいは支払い不能問題が顕在化しはじめているなかでの出来事でもあり地元紙はじめ多くのマスコミも取り上げ、 沖縄県は他自治体に先駆け

義援金

[編集]

蘇の那覇時代、台湾では台湾南部地震、台風被害、花蓮地震などおおきな自然災害が続けて起こった。沖縄での台湾の顔として窓口の役目を果たした。

駐大阪赴任

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
  • 啟誠,我會懷念你的 馮寄台/前駐日代表(台北市)... - 民意論壇:聯合報。世界日報。udn tv | Facebook

https://www.facebook.com/udnip/posts/2077108385688985/

  • 馮寄台/前駐日代表-悼一位優秀的外交官…啟誠,我會懷念你的 - 往事曾經如此 - udn城市

https://web.archive.org/web/20210504052551/http://city.udn.com/51040/5862619

  • 新新聞-馮寄台駐日時最倚賴的機要秘書

https://web.archive.org/web/20210417190722/https://www.new7.com.tw/SNewsView.aspx?i=TXT20180919173111H5G