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利用者:Tomos/赤穂藩の件など2

(井戸端BBS のこのスレッドの、2件の投稿[1], [2] へのお返事です。)

お返事ありがとうございました。いろいろな話題が出てきたようで、どれから手をつけようかちょっと考えてしまいましたが、これまでのお話からは、とりあえず個別の案件について具体的に意見を交わす中から問題解決の糸口を探ったり、相互の理解を深めたりする、その中から不適切な削除がされたものについては復活依頼を出すなり、プロセスに不適切な部分があればそれを関係者に苦情として提出するなり、ひいてはウィキペディア日本語版での削除のあり方について問題点や改善点を探るといった形でいくのがいいんじゃないかと思ったので、その路線を踏襲することにします。

ただ、議論の焦点を変えたい、ということであれば、そのようにお伝え下さい。僕自身は、上記のような議論の進め方にはそれなりによい点があると思うのですが、これ以外にも様々な進め方がありそうですし、試してみることに反対ではないです。この投稿の最後に書きますが、僕からもひとつ提案してみます。

また、これだけいろいろお返事を頂いて、僕の方からそれにお返事するのが赤穂藩に関することのみ、というのだと何だか素っ気無い気もしますし、一応、百楽天さんの書かれたことの要点(だと僕が理解した点)と、それについて僕の考えたことを手短に記しておきます。それら全部を一度に議論しようとするとたぶん収拾がつかなくなってしまうと思うのですが、百楽天さんが特に「ここはもっと掘り下げて議論したい」というような点を見つける際の手がかりにでもなればと思います。

以下、僕が理解した百楽天さんの要点を(1),(2),....と番号を振ってまとめ、各項について#を振って僕の意見を書きます。

百楽天さんの意見の要点全般と、僕のコメント[編集]

(1)Tomosの前回の投稿の結論は、主に次の2点である。 (a) 「赤穂藩についての記述をめぐる外部サイトと投稿された文の類似は、何かのソースに起因するものか、それとも転載なのか。」 百楽天さんは冒頭部分では直接お返事を書かれていませんが、外部ページを参照したことはなく、転載ではありえない、とされています。 (b) 「百楽天さんの投稿について著作権侵害の可能性が問題になっているものが多くある。」百楽天さんとしては、そのような案件の多さについては、不満な部分がある。何故なら、そもそも著作権侵害が考えられそうにないような投稿についてまで著作権侵害の可能性があるとされているから。実際には、問題にされるべき投稿はずっと少ないはず。

#(僕の意見:)僕としては、結論は、一番最後のまとめのセクションに書いた通りのつもりです。(利用者:Tomos/赤穂藩の件などの最後のセクションをご覧下さい。) これと比べると、(a)についてはおおよそその通りですが、”転載”に限定せず、複製・翻案の両方を心配しています。 (b)については、僕の結論ではないです。もちろん、百楽天さんの加筆・投稿された記事の多く著作権侵害の可能性がある文章が含まれているのではないか、ということは僕は心配しています。ただ、それらの内の幾つかについては、百楽天さんによれば、著作権侵害の可能性が考えられず、そもそも削除の必要がなかったのに削除された(または削除依頼が出ていて今後削除されるかもしれない)ということのようですから、余り先入観を持たずに個別の案件を見ていこう、と思っています。 赤穂藩の件を検討する際に、他の件との関連で考慮した点があるとしたら、むしろ、百楽天さんの意見には削除の是非と関係の薄いものが多く含まれていたり、肝心の点について尋ねてもお返事を頂けなかったりした、ということです。

(2) 天声人語に著作権侵害があったという主張が名誉毀損にあたるかどうかをめぐる裁判でも示された通り、事実関係の調査もせずに盗用があったなどといえば名誉毀損になる。

#(僕の意見:)一点を除けばその通りだと思います。何の類似性もないものを似ているとし、それは転載があったからだ、と断定するのであれば虚偽に基づいて人を論評するわけで、何かの事情で、転載があったと信じるに足りる理由などがあるのでもなければ、名誉毀損になる可能性が十分考えられると思います。ただ、以前メールでもご紹介しましたが、ネット上での名誉毀損に関しては、対抗言論の可能性を重んじる説が有力という話も聞きますから、実際に法廷で争うとどうなるのかは結構不透明のような気もします。これまでのところ、百楽天さんと部分的・全面的に同じような意見を持つ方が少なからずいらっしゃるようですし、誰も耳を傾けないし口を封じられていて名誉回復の機会がないという状態にはないようなので。

(3) Corruptresearcherさんは、3つの点で問題がある。 (a) 著作権について理解が浅く、著作権侵害の可能性についての議論も主旨がわかりにくいか、論として誤っている。 (b) 百楽天さんからの抗弁がない、議論に誠実に応じないとしているが、それは根拠のない批判である。 (c) Corruptresearcherさんは、百楽天さんが転載をしていないことの証拠・抗弁を提出しなければならないとしているが、「していない証拠」というのはそもそも提出できるような類のことではないし、抗弁という語の意味も曖昧。

#(僕の意見:) これは赤穂藩に関係のあることだと思ったので、別途お返事を書いてみます。総論としては、細かな点では問題があると言える部分はありそうだけれども、大筋として特に問題がない、と思いました。

(4) 辞書からの転載だと断定する際には、まず他の辞書との比較をするべき。

#(僕の意見:)基本的には同感です。但し、表現が一字一句同じである、類似部分に相当の長さがある、などの事情があればその必要はないこともあるかと思います。逆に一言の定義文の一致だけであれば、そういう調査の重要性が増すだろうとも。

また、国語辞典についてどうなのかは知りませんが、百楽天さんも挙げていたアンカー=サンライズ問題に関連して、業界の体質というか著作権に関する意識の低さのようなものを批判する文章を読んだこともあります。そこで、辞書を見比べてみて似ていた場合に、それを「こういう類似は半ば不可避なので著作権上も問題ない」と考えるべきなのか「こういう類似はできるだけ避けないとトラブルの元だ」と考えなければならないのかは、ちょっとよくわからないです。と、これは以前も書いたことですが。

(5) 新聞記事についても、創作性の有無を判断するには他紙の記事との比較をすれば明確にわかる。

#(僕の意見:)これはどうでしょうか。新聞記事にはAPや共同通信などの配信社からの文章や、企業のプレスリリースなどをそのまま、あるいは少し加工しただけで掲載しているものもありますから、創作性があるのに似ている、ということもあるかと思いますが。それからもうひとつ、新聞記事の著作権が問題になったこちらのケース[3]で、被告記事(4)と原告記事(4)の比較という部分などを見てみて下さい。これは分量的にも短く、事実のかなりストレートな記述である上に、元の記事とは表現の字句、記述の順序に違いがありますが、依然として著作権侵害だと断定されています。こういう例から、少なくとも僕の実感としては、どの記事に創作性があるかを見分けることは容易ではないように思います。

赤穂藩について[編集]

本題に入ります。

当面の議論の焦点は、引き続き以下の3点だと想定しておきます。

  1. 赤穂藩の削除の是非
  2. これまでの削除の議論に問題点があるか
  3. この件から、ウィキペディアの削除に関して得られる教訓は何か


赤穂藩の削除の是非について[編集]

削除の是非については、百楽天さんは、幾つかの反論を挙げていて、特にまとめなどはないようなので、まずまとめて、それから各論点について僕の考えを書いてみます。

  1.  外部サイトを見ながら書いていない
  2.  乱心という語の選択については、考えがあって選んだものであって、著作権侵害の根拠にはなりえない。
  3.  赤穂を生駒親正が領したことについて触れなかったのは、考えがあってのことなので、特に著作権侵害の根拠にはなりえない。
  4.  池田輝興の起こした事件については、一般書籍などで読んだことがない時期に、史料を参考にして書いたことがある。
  5.  一般に、これまでに長い間調査を重ねてきており、独自の着眼点、他の人が見落としがちな点を考慮した解釈などを持っている。
  6.  判断の決め手は創作性の有無にある

百楽天さんの考えとして僕が理解したのは、以上です。

以下、僕の考えたことを書いてみます。

(1) ウィキペディアに投稿した文章は、例の外部サイトを見ないで書いたものである。

ひとつ確認したいのですが、「見ないで書いた」というのは、執筆を終えた時点で、見たことがなかった、ということだと考えてよいでしょうか? 執筆以前に見たことがあったが、文章を書く時にはそれを見ながら書いたわけではない、ということであれば、依拠とみなされることがあるようですが、そういうこともない、と考えてよいですか? 

(2) 「乱心」という語の選択については、考えた上でのことなので、特に著作権侵害の根拠にはなりえない。

今回の件については、乱心という語の使用・不使用が決定的な部分とは思えませんでしたので、あまりこだわりません。

ただ、選択の余地がどのくらいあるか、ということを言えば、そもそも乱心・発狂・失心といったひとつの語で池田輝興の心理を表現するという以外に非常にいろいろな選択があったと僕は思いますし、現にそういう選択をしているページもあるので、類似しない可能性はいくらでも考えられると思いますが。

(3) 赤穂を生駒親正が領したことについて触れなかったのは、考えがあってのことなので、特に著作権侵害の根拠にはなりえない。

これも、乱心の件と同じで、この点ひとつだけを取り出してみれば、それに言及する文章もしない文章もあるわけですから、たまたまこの点に触れない文章を書いたからと言って、それだけを理由に、この点に触れていない他の特定の文章を無断利用したなどと考えることはできないと思います。

(4) 池田輝興の起こした事件については、一般書籍などで読んだことがない時期に、史料を参考にして書いたことがある。   これは、今回の件には、かなり間接的な形でしか関係しないと思います。百楽天さんがかつて、まだ誰も池田事件と赤穂藩を関連づけて書かなかった時期に、文章を作成、発表されたとしても、もしもウィキペディアへの投稿の際に外部ページの表現を借用して百楽天さんの考えを表現されたのであれば、やはり著作権侵害が心配になってきますので。(ただ、あの池田事件の一文だけを借用したとしたらどうだったか、というのは判断が難しい件ですが。むしろ、それに限らず複数の文について類似が見られる点が気になります。)

もちろん、百楽天さんが以前史料のみを参考に書かれた文章が世に広まって、そこにあった文章を一部無断で借用したのが外部ページであり、そもそも赤穂藩についての百楽天さんの文章と外部ページの文章の類似性は、全てそこに起因している、ということなら、百楽天さんには著作権侵害はないわけですが。

(5) 一般に、これまでに長い間調査を重ねてきており、独自の着眼点、他の人が見落としがちな点を考慮した解釈などを持っている。

藩という概念の捉え方、江戸時代の領土や領主制のあり方、複数の事件とそれに続く改易の有無を考慮する中から見えてくるもの、などについての百楽天さんの見解は興味深いのですが(もっとも、その価値を十分理解するには僕にはかなり基礎知識が足りないようですが。。^^;)それ自体は、著作権侵害の有無を考える上では非常に間接的にしか参考にならないと思います。深い見識は持っていたが、他人の著作物を無断で利用して、自分の見識を表現する文章に使ってしまった、というようなことがあったのであれば、それが著作権侵害になることがありうるので。

(6) 判断の決め手は創作性の有無にある。

これはその通りで、創作性がなければ、そもそも著作物ではなく、自由に利用したところで著作権侵害にはなりません。

で、類似している部分について創作性があるかどうかということを考えてみると、事実の取捨選択、それらを文章で表現する際の記述の順序・構成などが似ていて、そうした点については過去の判例からどうも著作権が認められることがあるので、問題があるのではないか、というのが僕が気になった点です。

(7) 結論部分に創作性を考える決め手がある。

これは、百楽天さんが言及している判決文の全文を読んでいないので何とも言えないですが、結論が違っていれば大丈夫か、というと、そういう保証はないだろうと思います。これも既に何度か紹介した話ですが、同じような表現を用いつつも、全くことなる思想を表現したパロディ作品が、翻案権の侵害にあたるという最高裁判決があります。そのパロディ作品は、原作の表現を巧みに(と僕は思いました)利用して別の思想を表現するのに使いました。ですが、原作の表現の創作的な部分が感じられるから、表現している思想は違っていても依然として著作権法上は問題、と判断されました。同様に、ある文章を書き換えて、結論部分が大きく異なっている別の文章にした場合、結論以外の部分に類似性が残っていれば、それが理由になって著作権侵害が認められることになる可能性はあるように思います。


削除の是非についてのまとめ

赤穂藩についての以上の話をまとめると、乱心という語の選択や生駒親正に触れていないことは、僕には、それ単独で考えても特に意味がないことのように思いました。それぞれの点の一致・不一致は、偶然起こるものとして片付けられそうだからです。ですが、前回利用者:Tomos/赤穂藩の件などに記した多くの類似点について考える時、それらの全てが偶然に起因する、と考えるのはちょっと無理がありそうだと思いました。また、そのページに挙げた様々な外部サイトでの赤穂藩の説明を読んでみても、誰が書いても赤穂藩についてはだいたい同じようなものになるので、あのくらいの類似は普通に起こるものなのだ、という風には思えませんでした。

類似部分に全く創作性がなければ問題はないわけですが、そうともいえないように思います。

むしろ、誰が書いても同じになるようなものではなく、書き手の考え方によって事実の取捨選択などが異なってくるし、文章表現も個性が反映される、著作権が認められるような文章なのではないか、と思いました。

そうすると、これは前回も書いたことですが、この類似性をどう説明するか、が疑問として残ります。こういう場合に可能性として思いつくのは、次のようなものです。

  1. 百楽天さんが以前このページを読んだことがあって、その影響でああいう類似になった。
  2. 文章をコピー・改変して投稿したからああいう類似がある。 (この可能性はどうやらないということのようですが、例えば執筆時には参照していなくても、何かの理由で百楽天さんの調査ノートなどに紛れ込んでいて、結果として同じことが起こる可能性もあるかと思いますがどうでしょうか。)
  3. 百楽天さんのウィキペディアへの投稿と、外部ページと、両者に先立つ、第三者の別のソースがある。
  4. 百楽天さんとしても、どうしてこのような類似があるのかわからない。
  5. この程度の類似なら偶然にでも起こりうると言えるか。

そういう辺りが気になります。いかがでしょうか。


これまでの削除の議論に問題があるか[編集]

赤穂藩の削除の是非をこれまで考えて、発言した方については、前回の投稿で検討して、削除の是非の意見やその判断の根拠について僕が賛成するかどうか、対話に臨む姿勢などについて賛成するかどうか、ということを考えてみました。 

その時の結論としては、理想的な形だとは言えないまでも大筋として問題がない、というのが僕の感触でした。ただ、もう少し踏み込んだ対話が起こってもよかったと思う部分はありましたが、それについても、KozawaさんやCorruptresearcherさんなどに一方的に非があるというわけではなくて、百楽天さんとの間で相互不信や誤解などが解けないために起こったことかな、と思いました。人間同士のやりとりですから、そういうことが起こってしまうことはありますし、この場合どちらが悪いと断じるのはそう簡単ではないと思います。

今回の百楽天さんのお返事から、Corruptresearcherさんの言動が問題だと考えているようなので、それについて改めて考えてみました。先ほど記した、百楽天さんの要点をもう一度書いてみます。

(3) Corruptresearcherさんは、3つの点で問題がある。

  • (a) 著作権について理解が浅く、著作権侵害の可能性についての議論も主旨がわかりにくいか、論として誤っている。
  • (b) 百楽天さんからの抗弁がない、議論に誠実に応じないとしているが、それは根拠のない批判である。
  • (c) Corruptresearcherさんは、百楽天さんが転載をしていないことの証拠・抗弁を提出しなければならないとしているが、「していない証拠」というのはそもそも提出できるような類のことではないし、抗弁という語の意味も曖昧。

以下、僕が考えたことです。

(a) 侵害の可能性についての判断は、特に未熟ではないと思いました。(そう思っている僕が未熟、という可能性はもちろん否定できないわけですが。。^^;)

ただ、「内容」に保護が及ぶというのは、著作権の研究者であれば避ける言い方ではないかと僕は思いました(「内面的表現形式」と専門家の方は呼ぶようですね)。 

(b) 百楽天さんが誠実であったか否かは、人の心理ですからいろいろ解釈の余地があると思いますが、そういう解釈が成り立つことは僕にはよくわかるように思いましたし、わかる範囲で利用者:Tomos/赤穂藩の件などにも書きました。

(c) 証拠・抗弁という語が厳密に、あるいは法的な意味で、適切な用語法であるか、というと疑問を呈することはできると思います。ですが、百楽天さんに説明を求めること自体は適切なことだという風にも思います。

最近の著作権法の改正により、複製権などが侵害されたとして起こされた訴訟では、被告がそれを否定する場合には、被告側が、問題となっている著作物をどのようにして作成したのか具体的に説明する義務を負うことになっているのだったと思います(114条の2)。 依拠(他人の著作物の、問題のある形での無断利用)は、訴訟を起こす側も、起こされる側も証明が難しい問題なので、裁判の場合には双方が証拠などを提出して裁判官が判断する、というのが基本的な形で、必ずしも告発する側が完全に立証する必要はないようです。

そこで、間接的なもの、あるいは決定的でないものなどであれ、依拠していない「証拠」があればそれを出してもらえないと、削除の是非を判断するのに差し支えるという風には言えると思います。「抗弁」という語については、僕にはちょっと知識不足ですが、百楽天さんの書かれたような理解でも一応筋は通るように思いました。 

以上をまとめると、Corruptresearcherさんについては、全体的な印象として、精密な用語法などは確かに用いていないのかも知れませんが、意見、その根拠などは大筋において問題なく、またわかりにくいところもない、というのが僕の印象です。

ただ、これは、誤解する百楽天さんの方がおかしい、とか、百楽天さんに非がある、というような意味ではありません。念のため。誤解が生じる可能性もあるかも知れませんが、筋が通っている、理にかなっていると思ってみてみると、百楽天さんにもそういう風に見えてきてもおかしくなさそうに思うのですが、どうでしょうか。

ウィキペディアの削除に関して得られる教訓[編集]

これは、今回の百楽天さんの投稿からは特に議論は提起されなかったようなので、僕からも論じる点はありません。

総まとめ[編集]

今後の対話の論点として重要そうな点を、質問の形で書いてみることにします。

削除の是非については、百楽天さんの意見の内特に議論にとって重要なものは、抽象的に言えば次のようになるかと思います。

  • 依拠がなければ著作権侵害はそもそも起こりえないが、今回の件については依拠はない。
  • 依拠があっても、創作性がない部分の利用は問題がない。今回の類似部分については創作性がないので問題がない。
  • 特定の類似箇所については当該外部サイトへの依拠以外の理由、すなわち百楽天さんの語や記述内容の選択理由がある。

1) 依拠については、とっさにこれが偶然の一致だという風には思えないので、今一度確認させて下さい。記事を執筆される以前にも、執筆されている最中にも、例の外部サイトを見たことはなかったのでしょうか。 もしそうだとすると、今回の類似は、どう説明するとよさそうに思いますか?

2) 類似部分に創作性がない、という意見は、具体的な議論にはなっていないですが、僕が挙げた判例で示された考え方や具体的な文章についての判断などをご覧になって、「今回の件の類似部分についても、あるいは創作性があるとされるかも知れない。ひいては著作権問題も心配しなければならないかも知れない」とは思いませんか?

3) 最後に、今回挙げられた特定の類似点(乱心という語、生駒親正に触れていないこと)は、2つの文章間の類似の有無を考える上では決定的ではないように思います。ですが、これらの点について論じられたということは、百楽天さんとしては、類似点は基本的には偶然の一致の類であり、百楽天さんが自分の知見と判断に基づいて選んだ表現が、たまたま外部サイトの文章と多くの点で一致してしまった、という意見なのでしょうか?

次に、削除の議論のプロセスについて。これは特に改めてまとめるところはありません。

4)僕としてはCorruptresearcherさんのこの件の扱いに関して百楽天さんが指摘した問題は、それほど大きなものではないのではないか、と思ったのですが、どうでしょうか。もちろん、僕も含め、削除の是非を議論しているのは法律家などではありませんから、完璧にはほど遠いわけですが。。

僕としては、特に伺ってみたいのは以上4点です。お返事を頂ければと思います。

今後の議論の進め方[編集]

一般論のやりとりではなく個別の案件の検討していくというのが今のところの方向として僕が考えているものです。ですが、百楽天さんの今回の書き込みに、Personaさんの掲げたリストの各件への百楽天さんのコメントを扱うことの提案があったので、それについて考えてみました。

リストは長いもので、それに付された百楽天さんのコメントの中にも、前回指摘したような、「削除の是非を考える上では決め手にならないコメント」などが入っていて、全てのコメントがすぐに削除の是非についての議論に役立つものかどうか、ちょっと疑問に思いました。そこで、まずは百楽天さんに、個別の件についての意見を、以下の6つの中から選んで表明して頂いて、全体としての傾向や、どこを議論するとよさそうかなどについて考える手がかりとする、というのはいかがでしょうか。

  • a)「指摘された外部サイトに依拠した文章を作成・投稿したので削除が適当」
  • b)「外部サイトに依拠したわけではないが、外部サイトとの共通資料への依拠が考えられるため、それが著作権侵害になっている可能性を考慮して念のため削除するのが適当」
  • c)「指摘された外部サイトへの依拠はなく、類似・一致点については偶然や必然、著作権が消滅している史料、百楽天さんが以前発表した文章のいずれか、またはその組み合わせによるものなので、著作権侵害のおそれを理由とした削除は不適当」
  • d)「指摘された外部サイトに依拠はしたが、そもそも類似・一致点は著作権法上問題になりうる可能性がないものなので、著作権侵害のおそれを理由とした削除は不適当」
  • e)「その他」

このような形でコメントを頂ければ、どのような意見の不一致がありそうか、どの件について議論するとよさそうか、見極めやすくなることもあるかと思います。


長くなりましたが、以上です。

Tomos 2004年10月28日 (木) 01:08 (UTC)