利用者:Tsukisuke/案/隠蓑 (地名)
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地理
[編集]隠蓑は、北九州市小倉南区の北部にある。南部には九州自動車道と東九州自動車道が接続する北九州ジャンクションがある。
沿革
[編集]江戸時代ごろに「隠蓑村」として成立した。1889年に近隣の石田村・城野村・蜷田村・堀越村・横代村と合併して城野村となり、その後、城野村が東紫村と合併をして企救村に、1917年に企救村が町制へ移行して企救町となった。1937年に企救町は小倉市の一部となり、1963年には小倉市が戸畑市、門司市、八幡市、若松市と合併して北九州市になり、同年に北九州市が政令指定都市となったため小倉市は小倉区になる。その後小倉区が南北に分離して、現在は小倉南区の町丁である。
名の由来にまつわる伝説
[編集]「隠蓑」という名の由来として、次のような由来が伝えられている。源平合戦の折、壇ノ浦の戦いで敗れ、二位尼とともに入水した安徳天皇は、実は生きのびていた。そして、源氏方の追手から逃げる途中、ある村でついに追いつかれ見つかりそうになった。しかし、この村の人々は逃げてきた子ども(安徳天皇)に蓑をかぶせて追ってから隠し、助けた。このことに由来して、この村は「隠蓑」というようになったと伝えられている。
なお、この後、安徳天皇はこの地に住み、この地で亡くなったという伝承もあり、安徳天皇の陵墓とされるものが残っている。
しびきせ祭り
[編集]しびきせ祭りは、毎年12月15日に同地区にある薬師寺陰徳庵で行われる祭り。前記の伝承から、
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 伊東尾四郎編『企救郡誌』(ナガリ書店)
- しびきせ祭り - 北九州市
関連項目
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