利用者:Ueda Naoto/sandbox
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文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]木造釈迦如来立像 鎌倉時代後期に制作された釈迦如来像である。材質はカヤを用い、寄木造りである。本像は京都清凉寺の本尊釈迦如来をもとに制作されている。鎌倉時代、清凉寺の釈迦如来像をモデルとした仏像が各地で制作されたが、その多くは像内の銘記、納入品などで像の制作経緯が明らかとなっている事例が多いが、真福寺の釈迦如来像はそのような史料が無く、像の制作経緯ははっきりとしていない。ただし、像の形態から鎌倉時代後期の作と考えられ、神奈川県下で清凉寺像をモデルとして制作された極楽寺、称名寺のものと比較して、清凉寺の原像に近いものである[1]。
重要文化財(神奈川県指定)
[編集]木造千手観音立像 平安時代の関東における千手観音像の古い例である。材質は頭部および本体部分をヒノキの一木から彫り出している。頭頂の仏頭、両側の四本の脇手の肘から先、両足先などは欠けたものを後に補ぎなったもの。普通千手観音は四十臂、あるいは四十二臂だが、本像は八臂となっている[2]。
有形民俗文化財(横浜市指定)
[編集]荏田真福寺奉納絵馬および奉納額一括 真福寺の前身のひとつである観音堂は、小机領33か所子年の観音霊場の第20番札所に指定されるなど、真福寺は近隣の観音信仰の中心となった。特に子年の4月には御開帳が行われ、多くの信者を集めていた。その他、釈迦如来、薬師座像が安置されるようになるなど、近世、真福寺は様々な民間信仰を集めるようになっていた。このような中で、庶民の様々な願いを込めた絵馬が奉納された。最古の絵馬は1800年(寛政12年)に奉納されたものであり、また観音堂が創建された1789年(寛政元年)、創建直後に奉納されたと考えられる扁額が残されている。そして子年の観音御開帳に合わせて多くの絵馬、扁額が奉納された[3]。