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まつもと てつぞう 松本 徹三 | |
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生誕 |
1939年11月15日(85歳) 日本・東京都 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 京都大学法学部 |
職業 | 実業家 |
子供 | 3人 |
松本 徹三(まつもと てつぞう、1939年(昭和14年)11月15日 - )は日本の実業家である。 元ソフトバンクモバイル取締役副社長(現在はソフトバンクグループ シニアアドバイザー)。株式会社 ジャパン・リンク 代表取締役社長。一般財団法人 高IQ者認定支援機構代表理事。
来歴
[編集]出生・幼少期
[編集]1939年11月15日に、兄一人、姉二人の末子として東京都で生まれる。
幼年期は兵庫県西宮市、東京都中野区に住み、戦争が激しくなると、栃木県上野郡東大芦村大字引田に疎開した。疎開中に終戦になり、大人達に交じってラジオで玉音放送を聴いた。
学生時代
[編集]1949年に大阪学芸大学付属池田中学校(現 大阪教育大学附属池田中学校)に入学後、大阪府立北野高等学校(1958年卒業)を経て、京都大学法学部を1962年卒業。
大学では、会社法の権威、大隅健一郎博士(後に最高裁判事も務める)のゼミに所属したが、殆ど勉強せず、アルバイトでバーテンダー等をやり、漫然と遊んでいた。町道場で空手道(剛柔流)を習い、一年後に大学の空手部(糸東流)に転じて、副将(二段)を勤めた。
高校、大学を通じての親しい友人に、久留勇(東芝半導体事業部長、日本モトローラ社長)、門良一(京都産業大学教授、モーツアルト交響楽団常任指揮者)、船木隆夫(三和銀行専務取締役、TIS社長)、前田昌宏(三和銀行専務取締役)、等々がいる。
職歴
[編集]- 1980年に東京本社通信プラント第二課長就任。
- 1985年に伊藤忠アメリカ会社(現・伊藤忠インターナショナル会社)エレクトロニクス部長就任(SVP)。
- その後、東京本社の通信事業部長、マルチメディア事業部長、宇宙情報部門長代行などを歴任。
- 在籍中は、伊藤忠が筆頭株主だった衛星会社(JSAT)と競合他社(SAJAC)との合併、直接衛星放送事業(後のスカイ・パーフェクトTV)の立ち上げ、タイムワーナー(現・チャーター・コミュニケーションズ)、東芝、USウエストとの合弁によるケーブルTV会社(TITUS)の設立等に重要な役割を果たす。
- 1996年に伊藤忠商事を退社して独立。コンサルタント業の株式会社 ジャパン・リンクを設立後、同社の顧客であった米クアルコム社の要請を受けて、クアルコム・ジャパン 株式会社を1998年に設立し、社長に就任。
- 2005年には同社会長兼米国本社上級副社長に就任し、日本、東南アジア、大洋州を統括すると共に、発展途上国向け新サービスの開拓などに取り組む。
- 2013年4月から2年間、明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科の特別招聘教授を勤める。
- 2019年4月には、私財を拠出して「一般財団法人 高IQ者認定支援機構」を設立、代表理事に就任。
- 2019年5月に、Planetway Japan 株式会社の暫定的な代表取締役会長 (CEO) に就任。
人物
[編集]権威を嫌い、多様性を好み、常に自由闊達に行動する。好奇心旺盛で、新しいものを見ると放っておけなくなる。 アイデアが豊富で、思いつくとすぐに行動する。論理的(科学的)な思考を得意とするが、工作と実験と観察が苦手だった為、技術者の道には進まなかった。しかし、仕事上技術に精通する必要があり、技術的な事柄は常に熱心に学んだ。
責任感が強く、「絶対に逃げない」「労を惜しまず、やるべきことは全てやる」をモットーにしている。いつまでも仕事がやめられず、80歳に近い今もなお現役で仕事をしており、30代と全く変わらず、世界中を駆け回っている。
思想的には、リベラル、無宗教、実存主義者、世界市民主義者。現代の強欲な金融資本主義や拝金主義、偏狭な民族主義やナショナリズムには嫌悪感を持っている。政治的には、現実主義者で中道右派。
著作
[編集]「久慈毅」名義(小説・往復書簡形式のビジネス書3冊)
- 『日本の会社を生きる君たちへ』ダイヤモンド社、1995年11月。ISBN 978-4478900024。
- 『日本の会社大改革物語』ダイヤモンド社、1996年11月。ISBN 978-4478372005。
- 『新規事業室長を命ず』ダイヤモンド社、1998年10月。ISBN 978-4478330784。
「外村直樹」名義
「松本徹三」本人名義
- 『AIが神になる日--シンギュラリティーが人類を救う』SBクリエイティブ、2017年7月。ISBN 978-4797393064。[注 4]