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セントルイス・ラムズ
創設 1937年
所属地区

NFC西地区

チームデザイン
チームロゴ
金の角を持つ紺色の羊
チームカラー
ニューセンチュリー・ゴールド、ミレニアム・ブルー、白
ユニフォーム
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ホームタウン

ミズーリ州セントルイス

エドワード・ジョーンズ・ドーム

永久欠番

{{{永久欠番}}}

獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン ({{{SB回}}}回)
カンファレンス・チャンピオン ({{{CC回}}}回)
地区優勝 ({{{DC回}}}回)
ワイルドカード
球団組織
オーナー
GM
ヘッドコーチ マイク・マーツ。ただし、健康上の理由で2005年シーズン終了まではジョー・ビットが代行

セントルイス・ラムズは、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスに本拠を置く、National Football League (NFL) 所属のアメリカンフットボールチームである。過去に、本拠地をオハイオ州クリーブランド、カリフォルニア州ロサンゼルス、カリフォルニア州アナハイムと移転している。

創設: 1937年
過去のチーム名: クリーブランドラムズ (1937-1945)、ロサンゼルスラムズ (1946-1994、ただし1980-1994はアナハイムに所在)
過去のホームスタジアム:
クリーブランド市営スタジアム (1937、1939-1941、1944-1945)
ショー・スタジアム (1938)
リーグ・パーク (1942)
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム (1946-1979)
アナハイム・スタジアム (1980-1994)
ブッシュ・スタジアム (1995年シーズンの前半)
ヘルメットのデザイン: 紺地に金の雄羊の角

フランチャイズ史

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クリーブランド時代 (1937-1945)

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クリーブランド・ラムズは、1936年、クリーブランド在住の弁護士ホーマー・マーシュマンにより創設され、American Football Leagueに加盟した。1937年にNFLに加盟し、直前に解散したセントルイス・ガンナーズに代わってNFL西地区所属となった。ほぼ負け越しに終わった最初の数シーズンの頃からすでに移転の頻繁なチームであり、3 つのスタジアムの間を転々としている。チームが上昇のきっかけをつかんだのはオハイオでの最後のシーズンとなった1945年で、シーズン9勝1敗の成績を収め、初のNFLチャンピオンシップを獲得した。

ロサンゼルス時代 (1946-1994)

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1946年、ラムズはロサンゼルスに移転し、座席数9万2千のロサンゼルス・メモリアル・コロシアムをホームスタジアムとした。このコロシアムは30年以上にわたってラムズのホームとなったが、最初に建造されたのは1922年で、ラムズ移転の10年以上前にオリンピック開催地として使用されたこともあり、移転当時ですでに築20年を超えていた。1948年、ハーフバックのフレッド・ガーキがヘルメットに雄羊の角を描き、これが現代のプロ・フットボールのヘルメットデザインの先駆けとなった。

南カリフォルニアでの最初の黄金期は1949年から1955年にかけて、スーパーボウルと呼ばれる以前のNFLチャンピオンシップゲームを戦った時期であり、このうち1951年にチャンピオンシップを獲得した。当時のラムズはNFLトップのオフェンス力を維持しており、それは1951年にクォーターバックがボブ・ウォーターフィールドからノーム・バン・ブロックリンに交代しても変わらなかった。このときのチームを代表する選手は、ワイドレシーバーのエルロイ・ハーシュである。名レシーバーハーシュと、殿堂入りしたトム・フィアーズによって、ラムズのスタイルが確立された。1951年のチャンピオンシップシーズン中、ハーシュは、当時としては驚異的な1495ラッシングヤード獲得と17回のタッチダウンという成績を残した。このワイドオープンオフェンスが人気を博し、1950年、NFLのチームとして初めて、すべての試合がテレビ中継された。

セントルイス時代 (1995-現在)

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この頃、1995年完成予定の新しいドーム型スタジアムにNFLのフランチャイズを招致しようとする活動が活発化していた。まずバドワイザーで知られるアンハイザー・ブッシュ社のジョー・オースウェインがニューイングランド・ペイトリオッツの招致を試みたが、これは失敗に終わった。次いでセントルイスは1995年のNFLエキスパンションフランチャイズ枠の獲得を試み、有力候補のひとつと見られていたが、実際にフランチャイズを獲得したのはシャーロットとジャクソンビルのオーナーシップグループであった。