利用者:VenusNeptune/sandbox
金城 文人 (きんじょう ふみと)
沖縄県の県庁職員でありながら、沖縄県の公共工事にからむ業務上横領容疑。
犯人の生い立ちや精神構造、沖縄県の教育などにも要因が認められるが、最も大きな問題は、思春期の恋愛のもつれによる人格障害というものが直接の原因という説が有力である。
生年月日:昭和46年
出身地:沖縄県浦添市中西
父親:沖縄工業高校卒配管工事会社経営
母親:沖縄県庁の臨時職員
兄弟:3人兄弟、姉、弟がいて、長男
学歴:
浦添市立中西小学校
浦添市立中西中学校
沖縄県立開邦高等学校 理数科卒業
中央大学経済学部卒
職歴:
沖縄県庁 職員採用試験 地方公務員試験(上級)合格
土木建築部勤務
小中学校時代
地元の野球チームに所属しており、エースで活躍し全国大会に出場した経験もある。
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中学3年から那覇市にある進学塾に通うようになり、その当時の沖縄県の進学率の向上を目的として開校されたばかりの開邦高校に第2期生として入学する。 沖縄県には県立高校があるが、学区があり那覇市在住の場合、普通科を志望する場合、那覇市内の高校にしか進学できない。そこで理数科や英語科、芸術科として沖縄県全域から入学できるようにした高校が開邦高校であり、その2校目もある。また、那覇市には私立の昭和薬科大学付属高校、沖縄尚学高校、興南高校がある。
高校時代
理数科に入学し、県内の各地から入学してくる成績のいい生徒に出会う。
また、高校時代に初恋を経験し、県南部具志頭村出身の同級生に恋をする。その後交際をして、高校卒業までその交際は続いた。
この金城は、その交際相手と合うときには、常に性行為を強要し、交際相手よりも都会人であることを自慢していたようである。確かに都会人だが、だからといって男性的に優れているとは言えないが、金城はそれはとりあえず無視して、女性よりも少しでも優れていると思われるものを特に強調して性行為を1日に複数回以上も行ったということであり、それは周りの同級生も聞かされていたようである。
問題は、そのときに、同級生のAが女子トイレに入って、生理日の検査官を務めていて、「キャーキャー」言われていて当時から大人気だった。一部の女子には嫌悪されていたが、まったく気にしなかった。それで、金城の交際相手もなんとなくそのAのことを犯人金城に話していたようであり、金城にしてみれば、自分が都会的で洗練されている優秀な男性であるはずが、Aのような八重山の田舎者の話をされたことが、深く嫉妬心として心に残っていた可能性がある。
この件に関しては、このチャールズダーウィンの『進化論』の社会学的悪影響が多々見られる。また、某テレビ局の影響も甚大なものがあると予想できる。
浪人時代
高校卒業後、東京の予備校に通うために、東武東上線上板橋駅近くに賃貸アパートを借り浪人生活を始める。 予備校では隣の席の熊本出身の学生をパチンコに誘い、勉強ではなくパチンコを主に学習して浪人生活を終える。その後、その熊本同級生は熊本県庁に就職したようである。この事実は、金城本人の就職先にも影響を与えたはずである。
浪人時代に同級生2人とビルの解体工事のアルバイトをした際に、2,30kgのコンクリートの瓦礫(通称:がらだし)の袋を一人で2つ持ち、通常人の2倍の生産性を実現していたという事実がある。これが彼の土木部という部署での才能の一端である。体力があるという事実も確かにある。しかし、なぜか高級品などを身に着け、就職後も赤坂の女性を特に気に入っているという強すぎる性欲と言える。
1年浪人後、中央大学経済学部に合格し入学。世田谷区にある京王線千歳烏山駅付近に賃貸アパートを借りて学生生活を始める。
当時の家賃はワンルーム7畳程度で7万円。中央大学の経済学部のキャンパスは、京王八王子にあり、そのあたりであれば、 家賃は格安で3万円程度で借りられるが、金城はどうしても23区であるとか電話番号が03で始まれなければ東京人とは言えないなどと洗練された考えをして、ハイセンスで有名な世田谷区千歳烏山駅に決めたようである。千歳烏山駅の一つ西の駅から23区外の03番号以外になる。
このあたりの性格的なものは、上京した人達にはある程度共通なのかもしれないが、それが中年以降になっても修正できないというか。
大学時代
また、大学在学中に同級生3人と集団強姦をした件で逮捕歴がある。その当時、同級生3人と金城の部屋に女子学生一人を連れ込み飲酒後、強引に性行為に及んだとされている。女子学生はその後、裸足で金城の部屋から逃走。警察に保護され、事件が発覚した。この事件において、金城は部屋の提供という中心的役割を果たしているにも関わらず、ほかの二人よりも先に釈放されている。裸足での逃走という事実から、警察も重大事件と考え、警察車両(パトカー)を5,6台出動させ、金城のアパートに駆け付け、逮捕ということになったようである。
また、このとき釈放された後、高校の同級生の当時沖縄県宜野湾市に住む琉球大学在学中(当時20歳)のAに泣きながら電話をし、どうすればいいかきいていたという事実もある。
この事件で、金城が先に釈放されたのは、義理の兄が東京大学法学部卒の当時包茎手術を行うクリニックの経営陣であり、その義理の兄の根回しなどにより、先の釈放ができたということを本人が言っていたようである。
(その義理の兄は、その後琉球大学医学部に合格し、医師として沖縄県内で仕事をしているということである。)
大学3年のころに、高校の同級生のAが調布市にある電気通信大学に入学し、京王線沿線の西調布のアパートで学生生活をはじめ、そこで浪人時代以来2年ぶりの再会を果たすことになる。
また、Aのすすめで、La Vocieという名前の社会問題研究会を月に1回程度の頻度でやろうということで、同じ高校の同級生で東京のみならず遠くは茨城県の筑波大学、東京理科大学、早稲田大学、明治大学、慶応大学などに進学していた学生が集まって、その研究会に参加していた。
そのほかにも東海大学医学部、神奈川大学の同級生などがいたようであり、この件との関連は後で詳細に記述、分析を試みる。
その研究会で、フロイトの精神分析の紹介のような回で異常な反応をしていたのがこの金城であり、それはその場の全員が異常さを感じていたようである。その異常な反応として今から考えると、以下のような事実がある。
学生時代に金城は、パチンコを主に履修しており、夜はガソリンスタンドでアルバイトをし、ほとんど授業に出ていないということを自慢していた。電気通信大学で死ぬほどレポートを書かされている学生からすると信じられない思いで、同級生のAは勉強するように勧めたようである。その感情を金城は敵意として受け取ったようであり、その誤解がそのときの異常行動に出ていたようでもある。そのとき、それ以上の性的分析の紹介などは避けるべきと同級生のAが悟ったようである。
また、その2年後に卒業することになり、「沖縄の母親が苦労しているから沖縄に帰って仕事をする」ということをこの金城が言っていたらしく、それで沖縄県庁に入庁することになったようである。金城の両親は、父親が沖縄工業高校卒で、母親が県庁の臨時職員という職業であり、父親の経営する配管業の経営難から、 金城本人は母親から公務員を強く勧められていたようである。
また、沖縄県の日本本土復帰が1972年であり、金城が1歳のころである。これは沖縄県がもう少し複雑な歴史をたどっているということも影響している。1945年日本がポツダム宣言を受諾した後、沖縄県は琉球政府としてアメリカ合衆国の統治下におかれた。琉球政府ではあったものの決定権はアメリカの行政官の承諾を得る必要があったようである。これはちょうど日本の占領下のGHQ司令と同じようなものかもしれない。
現在においても年収が全国最下位を連続キープしており、民間の企業が特に儲かっていないという実態がある。
この経済の状況と県民の成熟度には相関関係があるが、それはまた後程、詳細に記述分析を試みる。
この金城の同級生に大城という国家公務員がいる。現在経済産業省の審議官だが、この犯人は沖縄総合事務局で勤務しているようであり、この金城と大城、それと沖縄県知事公室長の山根という男達が沖縄県の年収最下位の根本原因を示唆していると言わざるを得ない。この山根は横浜国立大学卒である。
そしてこの3人の精神年齢のあまりの幼稚さは、これだけの記述では納得のいかないものである。つまり、学歴と職業と言動がまったく一致しないのである。何か中学2年生程度の精神年齢に感じられる。
沖縄県の人文科学系の成熟不良の地理的、歴史的要因
沖縄県は明治期に薩摩(現:鹿児島県)により軍事的に日本へと編入された。それ以前は琉球王国であり、東南アジアや中国本土との貿易をしていたという歴史がある。 従って、鎖国をしていた日本本土より上と考えていたふしがいまだに見受けられる。そして、現在の歴史教育においてもそのようなプライドは存在する。ここにも歴史教育上の問題があるが、それも後程、記述を試みる。
学ぶこと・平等という基本的人権・歴史教育の在り方・公務員という地位の正しい理解
日本本土でも古い古典的統治法としての士農工商の思想が残留している人もいる