利用者:Was a bee/sandbox4
二分法(にぶんほう、英:dichotomy)とは、物事を重複しない二つのグループへ分けること、またそうして分けられた二つの対比や対立を中心にして行われる議論や思考のこと。善か悪か、真か偽か、また勝ち組 負け組など。二項対立、二項対立図式、二者択一、二元論的思考、などとも言われる。二分法による議論は物事の対立点を単純化してハッキリさせ、人々を引き込んで、議論を盛り上げる力を持つが、しかし同時に、そうした分け方自体が、議論の混乱や、パラドックスまた擬似問題をもたらすことがしばしばある。そのため、二分法による議論が現われたときは、その分け方はどこまで妥当か、またその二つ以外にどういう選択肢があるか、といった点について慎重に考慮した上で関わっていく必要がある。
概要
[編集]二分法は時に悪いものとして、また時に良いものとして扱われるものであり、その価値付けを行うことは簡単にはできない。ひとつ確かなのは、それがよく見られる思考法でだという点である。人類学者のドナルド・ブラウンは、二分法的思考はすべての文化で共通して見られる特性、ヒューマン・ユニバーサル、のひとつだとしている。二分法的思考が頻繁に現れる神経科学的な機序はまだ良くわかっていない。大脳半球が左右に分かれているからだ、といった俗説もあるが、これはあくまで俗説である。
二分法が良いものとして扱われる例として、論文の執筆法や講演の仕方の指針として、全体の構成を考える際に A 対 反A といった二項対立の図式がアドバイスとしてあげられることがある。これはこうした図式をとることで話の全体像が分かりやすくなるためである。しかし同時に議論の文脈においてはその分け方に応じて誤謬の一種、つまり良くないものとして扱われる場合もある。これはその分かりやすさに引きずられて、人々が誤った結論へと導びかれやすいためである。
誤謬としての二分法
[編集]誤った二分法(英:False Dichotomy)として知られる議論の一類型がある。これは一般に誤謬として扱われるもので次のようなスタイルを持つ。まず選択肢が二つのみであると前提した上で、一方は馬鹿げているので、残りを取るしかない、というタイプの議論である[1][2]。
- あなたは当団体に寄付を行って環境の保護を進めるか、または寄付をせず環境破壊を完全に受け入れるか、のどちらかしかありません。環境破壊はイヤですか?じゃあ寄付しましょう。
ここには誤りがある。それは他の選択肢への言及がないことである。つまり例えば、今回は寄付しない、だが環境破壊を受け入れるつもりはない、といった選択肢である。
- 彼は、善人か悪人かのどちらかである。彼は悪人とは言えない。よって善人である。
こうした例は実際の政治の中の議論でもしばしば見られる。有名な例として小泉純一郎が総理大臣をつとめていた時代に行われた郵政民営化と関わる議論の構図がある。小泉首相は、国のことを考えて改革を行う私達 vs 既得権益を守ろうと改革に反対する抵抗勢力、という非常に単純な二分法に物事を還元させることによって、大きい支持を得た。このことは当時小泉劇場などと呼ばれ、それをリーダーシップや一種のカリスマ性として評価する声もあった一方、ポピュリズム・衆愚政治として非難する声もあった。実際小泉首相引退後、郵政民営化に伴う様々な副作用はマスコミでも取り上げられるようになったが、小泉首相在任当時は、そうした細かい論点は基本的に、抵抗勢力の戯言、といった位置に置かれ、真剣な議論の対象とはなりにくかった。二分法の持つ力と、その強さ、はこうした所からも見て取ることが出来る。
こうした誤った二分法にのせられないためのコツはまずは本当に二つだけかを疑うことである。もっと多く、三つ、四つ、またはそれ以上の分類がないのか、それを考え探すことである。また次に、違う角度からの分類の仕方がないのか、それについても考えるが大切である。
哲学の世界における二分法
[編集]哲学の世界は二分法、二項対立のオンパレードである。一例をあげれば、アプリオリ-アポステリオリ、分析-総合、客観的-主観的、自-他、絶対的-相対的、事実-価値、である-べきである、偶然-必然、真-偽、物-心、など。
哲学においてはこうした二分法の提出、そしてそれに対する否定、そしてまた新しい二分法の提出、という形の議論が、実に様々な主題の上で繰り返し行われる。
心身問題、つまり物と心の二分法は、これはしばしばデカルトに帰せられる、ギルバート・ライルによってカテゴリーミステイクという形で否定され、その後、物と心に変わって、物理現象と意識体験という形の二分法が新たに導入され、そしてまたそれへの再批判が行われる。
参考文献
[編集]- M.Dascal. "Dichotomies and types of debate". In F. H. van Eemeren and B. Garssen (eds.), Controversy and Confrontation: Relating Controversy Analysis with Argumentation Theory. Amsterdam: John Benjamins, 2008, pp. 27-49.
- 松本 曜 「反義性に関する認知意味論的考察」 (PDF) 日本言語学会 第135回大会 (2007)
- 三浦俊彦著 『論理学がわかる事典』「6.10 二分法」 pp.234-235 日本実業出版社 2004年 ISBN 4534037104
脚注
[編集]- ^ Rick Grush "False Dichotomy" Class Syllabi for "Introduction to logic" Fall semester, 1998. University of Pittsburgh.
- ^ Bradley Dowden. Fallacies - Flase Dichotomy. Internet Encyclopedia of Philosophy.