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利用者:WideViewWp

もともと、欧米では昔から伝統的に、次のような用語があり、現在でも安定して用いられている。

  • ideaという用語
  • idealismという用語

そもそもideaなりidealismなりは、西洋の哲学の伝統の中で培われてきたものであり、そこではideaとidealismという用語で統一されていて、 ドイツでもフランス等々でも、ほぼ同一の表記であって、共通の記号として通用している。非常に安定している用語である。

これを日本語で、素直に音写語を用いて表記すれば次のようになる。 ideaは「イデア」 idealismは「イデアリスム」

ところが、日本人は、過去、ご都合主義的にバラバラの訳語を当ててきたことがある。 ideaについて「観念」「理想」等々 idealismについて、「観念論」「唯心論」「理想主義」等々

同一領域ですら、訳語が一定していなかったりする。

現状のWikipediaの日本語版を見てみると、いいかげんな訳語に振り回されて、「観念」「理想」「観念論」「理想主義」などバラバラに項目を立てて、中途半端で貧弱な記事を書いている。

もともと、海外ではideaはideaとして、ひとつの言葉として表現しているものなのに、たまたま誰かが言い出した訳語に振り回されて、記事が分断され、中途半端であやしげな記事になっていることは問題だ。もともと原語ではひとつの用語をもちいていて、人々はそれで共通の記号として伝達しあい、理解しあっている。例えば、ギリシャのプラトンの記述は根底にある。カントがイデアリズムについて書く時は、プラトンを意識した上で自説を発展させる。ラッセルがイデアリズムを論じるときは、プラトンやカント等々のイデアリズムを意識しつつ、自説を発展させる。同一の記事のそれなのに、日本語側で訳者がたまたま訳語を変えたからといって、中途半端に記事をバラバラにしてうまくゆくわけがない。もともと同一の用語(記号)で表現されているということを互いに充分に意識しながら、その用語に新しい意味を付け加えたり、削ったり、見る角度を変えたりしているのだから。

海外のWikipediaではen:ideaen:idealismを立てていて、各方面での概念が総合的に展開され、情報が非常に充実している、立派な記事が育っている。(是非一読すべき)

日本でも、それに倣う形で統一したほうが、まともな記事が育つ。少なくとも、イデアという記事は別に書いたほうがよい。

ただ、idealismのほうは、事典類の項目名としては「観念論」という名で立てることが定着しすぎているので、しかたないのでそちらを採用することにする。

日本の学者の先見の明のなさに、しかたなく引きずられていることになる。