利用者:WildChild~jawiki
エンヤファン、「指輪物語」ファンのキルターで、ブログも書いています。 [1] 良かったら是非見てください。 「エンヤ」でGoogle検索して当サイトを見つけました。
実は、2005年5月17日にラジオで「1961年の今日がエンヤの誕生日」と報じられ、これがアルバムライナーノートや取材記事の本人の言及と余りにも食い違っていたために、当初は何かの間違いかと思って混乱してしまいました。
そこで、公式サイトを見たらそうでもなかったので、彼女が育ったケルト文化を文献で調べたら旧暦があることが分かりました。
それで、エンヤは現地では誕生日を旧暦で公表しているということをブログ[2]に書きましたら多くの反響を呼びました。
要するにエンヤは西暦では1962年生まれ、誕生日はアルバムをリリースしている大体11月頃です。
話は当サイトに戻りますが、エンヤのページの生年月日が「1961年5月17日」となっていたために、2006年4月1日に修正を依頼しました。 その結果、かなり適切な記述を入れて頂き、まことに有難うございます。 そこで、エンヤを1961年、5月17日の誕生欄からも削除して、1962年の誕生欄に「誕生日不詳」として収録しました。
ところで、エンヤの他の言語のページも見ましたら、いずれもケルト暦の生年月日がそうとも知らずに西暦として掲載されていましたので、修正依頼で、生年月日の訂正を依頼したり、全ての言語の1961年、5月17日の誕生欄から"Enya"を削除したのですが、しばらくすると恐らく現地の方に元に戻されてしまいました。
それだけエンヤの生年月日の誤った定説が公式サイトを通じて世界に浸透していることを実感しました。
ケルト暦の生年月日がグレゴリオ暦として収録されていることは、百科事典として考えた場合、正確性に問題があると思います。 エンヤの公式サイトに対する疑問はこちらに書いています。[3]
エンヤの生年月日の正しい情報を世界に発信したいのですが、私は語学には自身がありません。 そこで、英語を始め、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、中国語、ハングル語、その他の言語に翻訳できる方々には是非ごく協力お願い致します。
今回翻訳して頂きたい記述は次の通り。
公表されている生年月日は1961年5月17日であるが、これはケルト暦による日付であり、西暦では1962年9月以降である。 そして、同時に生年月日の欄も「1962年」(誕生日は不詳)と訂正して頂きたい。--219.115.250.1 2006年8月22日 (火) 09:24 (UTC)
英語が堪能な何人かの利用者にこのことを伺ってみましたら、
利用者:Yassieさんからこのことに関してアドバイスがありました。 --219.115.248.218 2006年8月28日 (月) 12:26 (UTC)
エンヤの公表している誕生日がケルト暦であることを裏付けるソースは次の通り。 日本版アルバムライナーノート:
- 「The Celts」-1992年10月8日「30年前に生まれた」(中川五郎)
- 「Shepherd Moons」-1991年9月「今年29歳を迎える」 (伊藤秀世)
- 「Memory of Trees」-1995年11月6日「1962年生まれ」(松山晋也-スタジオボイス)
- 「Paint the Sky with Stars-The Best of Enya」-1997年秋「1962年生まれ、現在35歳」(伊藤なつみ)
アルバムはいずれもWarner Music UK Ltd.
取材記事:
- 「毎日新聞」2000年12月26日夕刊P.7音楽・舞台・映画/来日インタビュー-「38歳」 (川崎浩)
- 「Featured Artists/Special Intaview」『CDJournal』2005年12月号p.6-p.8「1962年生まれ」(株)音楽出版社(服部のり子)
ケルト文化にケルト暦が存在することが書かれている文献は下記の通り。
- ベルンハルト・マイヤーBernhard Maier『ケルト事典』鶴岡真弓監修・平島直一郎訳、創元者2001年p.114-p.115
- 鶴岡真弓・松村一男『図説・ケルトの歴史』河出書房新社1999年p.80
- カエサルGaius Jurius Carsar『ガリア戦記』国原吉之助訳、講談社学術文庫1994年p.219(6章18節)
- マロリーSir Thomas Malory『アーサー王の死』厨川文夫・厨川圭子訳、ちくま文庫1986年p.102-103(アーサー王の誕生と即位-5月1日生まれの子はすべて狩り出されたこと。モルドレッドの助かった次第。)
そこで、利用者:Yassieさんから「とりあえず、en:Talk:Enya#Birthdayで上記のソースを提出し、突っついておきました。詳しい調査は英語版の層の厚い執筆者に任せることにしましょう。」というお返事をいただきました。
これによると、エンヤがクラナドに参加したのが日本での取材記事と同じ1980年となっていました。
海外のサイトには「1979年」という記述もありますので、エンヤの生年月日と同じ矛盾が見られます。 だから、関係があるように思われるのですが。-- 2006年8月29日 (火) 11:35 (UTC)