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利用者:X1RqXf1/朝鮮の識字率

日本統治時代の朝鮮に書かれている所得税免除、人口増加、識字率向上の記載は本当に出典に依拠しているのか[編集]

「日本帝国の申し子」に「朝鮮人の識字率は1910年の10%から1936年には65%まで上昇した」と書かれているというデマ - 誰かの妄想・はてな版

問題の箇所[編集]

併合時における朝鮮の国民経済は破綻しており、住民からの徴税も困難な状態にあったため、日本は併合後10年間、所得税を免除した。朝鮮総督府は日本政府の財政支援の下で鉄道から医療まで朝鮮半島へ最先端の各種インフラを導入して整備するとともに、教育にも力を入れ、学校を多数建設した。朝鮮人の寿命は伸び、人口は1910年には1313万人であったものが32年後の1942年には2553万人とほぼ倍増し、朝鮮人の識字率は1910年の10%から1936年には65%まで上昇した[6]。

カーター・エッカート 『日本帝国の申し子』 ISBN 4794212755 ※この研究著書は「ジョン・ホイットニー・ホール・ブック賞」(アジア研究協会)、「ジョン・キング・フェアバンク賞」(アメリカ歴史学会)をそれぞれ受賞した。

履歴[編集]

当時の識字率[編集]

「日本統治下末期の朝鮮における日本語普及・強制政策」井上薫(北海道大学教育学部紀要1997.6)の8ページに年次の就学率、人口、日本語習得率の表がある。

1930年の国勢調査によると23.6%(男性37.1%、女性9.5%)、成人に限れば29.4%(板垣竜太「植民地朝鮮における識字調査」『アジア・アフリカ言語文化研究』第58号、1999年、NAID AN10418096識別子"AN10418096"は正しくありません。hdl:10108/21863 )同資料によれば1944年時点の人口は25,120,180名、12歳~19歳男性の未就学率は50%を超える(年齢層が上がるにつれ未就学率は高くなるし、女性は男性よりも高い)。

国勢調査は1925年から1940年まで5年毎に10月に行なわれたらしい。1944年5月にも人口調査が行なわれている(李 崙碩「朝鮮総督府の統計制度」『Global COE Hi-Stat Discussion Paper Series』第178号、一橋大学経済研究所、2011年3月、hdl:10086/18998  黄 仁相「韓国の統計制度史」『アジア長期経済統計室 ニュースレター』第13号、一橋大学経済研究所、1999年5月、2012年11月30日閲覧  )。

識字率ではないが、朝鮮総督府の『施政三十年史』によると1939年で(昭和14年)23.8%の朝鮮人が国語つまり日本語を解すとのこと。

  • 1945年で22%、 1970年で87.6%、1998年で97.5%
The literacy rate has risen from 22 percent in 1945 to 87.6 percent in 1970 and to 97.5 percent in 1998, but is a little lower than North Korea's rate of 100 percent. — 

Peimani, Dr. Hooman (2002), “South Korea”, Worldmark Encyclopedia of National Economies, The Gale Group Inc., http://www.encyclopedia.com/topic/South_Korea.aspx#3 2012年11月30日閲覧。 

Worldmark Encyclopedia of National EconomiesはEncyclopedia of the Nationsでも読める。
  • 全く同じ数字だが成人に限定している。1945年で22%、 1970年までに87.6%、1980年代後半までに93%
In 1945 the adult literacy rate was estimated at 22 percent; by 1970 adult literacy was 87.6 percent, and by the late 1980s various sources estimated it at around 93 percent. — -、 Savada, Andrea Matles; Shaw, William, eds. (1990), “Education”, South Korea: A Country Study, Washington, http://countrystudies.us/south-korea/42.htm 
  • 1960年代で27.9%
Even in the 1960s, the nation's illiteracy rate was only 27.9 percent and primary school enrollment measured 59 percent. — Kim-Renaud, Young-Key“South Korea”, World Education Encyclopedia, The Gale Group Inc., (2001), http://www.encyclopedia.com/topic/South_Korea.aspx 2012年11月30日閲覧。 
  • 成人の識字率 1945年22%、1960年に約80%。これを参照しているEconomistの記事。1945年の識字率が20%しかなかったと書く別の記事
The movement very effectively raised the adult literacy rate from 22 percent in 1945 to approximately 80 percent in 1960. — Jong-Wha Lee“Economic Growth and Human Development in the Republic of Korea”. Human Development Occasional Papers (Human Development Report Office (HDRO), United Nations Development Programme (UNDP)): 10. (June 1997). http://hdr.undp.org/en/reports/global/hdr1997/papers/jong-wha_lee.pdf 2012年11月30日閲覧。. 
  • 1930年代に成人(おそらく成人男性)の識字率が70%を越えていたというレポートもあるが、本当か?
In the late 1930s the adult illiteracy rate was over 70%. — Jong-Wha Lee、 “Republic of Korea”, The EFA 2000 Assessment: Country Reports, http://www.unesco.org/education/wef/countryreports/korea/rappport_2_1.html 
(この資料には他に "Third, after the liberation from Japan in 1945, the rapid expansion of primary schools made it possible for virtually all of the young children to become literate." とも書かれている。)


  • 1945年の識字率が13.4%とするものもある。
In 1945 the literacy rate stood at 13.4 percent (see Scitovsky, 1985). — -、 Hong, Wontack (31 Jan. 2003). Catch up and Crisis in Korea. Edward Elgar Pub. p. 39. ISBN 978-1840649178. http://books.google.co.jp/books?isbn=1840649178 
  • これの出典がティボール・シトフスキーの著作なんだが確かにそう書いてある。
They started from a very low level at the end of the war, especially in Korea, where the literacy rate was 13.4 percent in 1945 (as against Taiwan's 21.3 percent already by 1940), — -、 Scitovsky, Tibor (1985). “Economic Development in Taiwan and South Korea: 1965-81”. Food Research Institute>Food Research Institute Studies (Stanford Univerity) 19 (3): 215-264. http://purl.umn.edu/135678 2012年11月30日閲覧。. 

所得税[編集]

朝鮮総督府による統治が始まったのは明治43年(1910年)のこと。 大正5年(1916年)に法人所得税の開始(朝鮮総督府の『施政三十年史』)。 大正9年(1920年)に朝鮮所得税令(制令第16号)が出たらしい(小川郷太郎「我所得税と普遍の原則」『経済論叢』第13巻第6号、京都帝国大学経済学会、1958年4月、783-806頁、hdl:2433/127854 )。 この資料によればこれ以後も所得税は法人所得税のみで利子への課税と個人への課税は行なわれていないとのこと。

朝鮮での個人への所得税が課税されたのは1934年かららしい(“負担の公正を期す一般所得税の実施と税務機関の特設(林財務局長談)”, 京城日報, (1934年(昭和9)5月1日), http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10055091&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 )。 税率は内地の半額程度に押さえられたが、最低課税所得(免税点、控除適用後の所得で計算)は内地の1200円に対し800円。 税率はその後引き上げられて行ったし、免税点も500円(内地は1000円)に引き下げられた。

地税[編集]

1930年代までは税収入は所得税ではなく地税と酒税と関税が主だったようだ。 内地では地税は4円以下は免除であったが、朝鮮では5円以下で課税される人が約90%を占めた。 (黄完歳「植民地期朝鮮における戦時財政の展開」『経済論叢』第142巻第5-6号、京都大学経済学会、1988年、569-592頁、hdl:2433/134277 

参考文献[編集]

朝鮮総督府によるもの[編集]

朝鮮総督府官報[編集]