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利用者:YODAFON/仏教徒による宗教的迫害

仏教徒による宗教的迫害の項目では、仏教の信者によって行われた他宗教、無神論、無宗教への迫害について記述する。

キリシタンに対する迫害[編集]

室町時代後期に日本にキリスト教が伝わって以来、仏教徒とキリスト教徒は互いを『邪教』と決め付け激しい敵意を燃やしていたが、権力に保護され日本に根付いた仏教と違い、キリスト教は地盤も弱く、結果として支配者はキリスト教を日本にとって有害であるとみなし、西ヨーロッパ諸国の侵略の尖兵であるという口実の元に弾圧することに踏み切った。豊臣秀吉は1597年に26人のカトリック信者に死か改宗かを選ばせ、改宗を拒否した彼らは処刑された。豊臣秀吉の死後天下を握った徳川家康は1614年にキリスト教の完全禁止を定めた法令を発布し、以後キリスト教徒は激しい迫害を受けた。キリスト教徒はまず仏教(神道などの場合もあった)への改宗を強制され、拒否した場合拷問を受け、最終的には磔や打ち首などにより死刑に処された。


江戸時代を通じてキリスト教は禁止されていた。日本中で踏み絵が行われ、これを拒否した場合キリスト教徒であるとして拷問、死刑に処された。そのため少数の信者が隠れキリシタンとして生き残ったにとどまった。

江戸時代末期にキリスト教徒がフランスのカトリック神父により再発見されるが、1867年には彼らが仏教式の葬式を拒否し、キリスト教への信仰を公にした。通報を受けた江戸幕府はこれを重く見て信者への迫害を開始、幕府の崩壊後成立した明治新政府も神道を国教とする方針からキリスト教徒への迫害を続けていくことを当初は宣言しており、仏教徒の間でも廃仏毀釈の影響を減じ政権に取り入ろうと、『神道と仏教が共同でキリスト教という邪教から日本を防衛しよう』という言説が広まった。しかしキリスト教国からの批判を受け1873年にキリスト教は公認された。

これ以降も戦時中などにキリスト教は迫害を受けたが、これは神道信者によるものである。

ミャンマーにおけるキリスト教徒、イスラーム教徒への迫害[編集]

ミャンマーでは仏教が主流であり、キリスト教やイスラームはマイノリティーとして厳しい差別に苦しんでいる。両宗教の信者が高い社会的地位につこうとした場合、仏教への改宗を促されることもある。

とりわけイスラーム教徒には激しい迫害が加えられており、タリバーンの仏像破壊の際には怒り狂った仏教徒がムスリムやイスラームのモスクに攻撃を加え、それに対するムスリムの報復などで騒乱状態に陥った。これに関しては政府の工作員が僧侶に扮して仏教徒を扇動していたという報告もある。[1]

スリランカにおけるヒンドゥー教徒、イスラーム教徒への迫害[編集]

スリランカの多数派である仏教徒のシンハラ人はヒンドゥー教徒のタミル人やイスラーム教徒のムーア人を抑圧し、差別してきた。このためタミル人はスリランカからの独立を目指し戦争を開始、一時停戦をしたが2006年以降再び戦いが始まっている。

参照[編集]

  1. ^ タウングー暴動

関連項目[編集]