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利用者:Yamanosora/チョPD

チョPD

基本情報

本名:チョ・ジュンフン

出生:1976年1月21日

ジャンル:ヒップホップ、ラップ

活動時期:1998年 -

ウェブサイト:ツイッター http://twitter.com/peedeebaby

チョPD(本名チョ・ジュンフン)は大韓民国の歌手、作曲家、プロデューサー、実業家である。1998年、コンピューター通信上で注目され、デビューした。現在、ブランニュー・スターダム所属。

来歴[編集]

初期[編集]

チョ・ジュンフンは1976年、ファッション・デザイナーの母と、実業家の父の間に生まれた。

15歳のとき、韓国から米国にわたり、パーソンズ・デザイン学校とバークリー音楽大学に通った。

1998年、大学1年のときに作った音楽を、友人の勧めでコンピューター通信上のナウヌリ新人歌手室にMP3形式で発表し、(そのうちの)「イヤギ ソグロ (話のなかに)」が人気を呼び、注目された。当時、米国にいたソ・テジの推薦で、ヤン・ヒョンソクがYGエンターテインメントに誘ったが、これを断ったという。このことについて、当時発表した「Break Free」という曲でチョ・ジュンフンが暗にふれていて、悪口をふくむ衝撃的な歌詞がたいへんな話題になった。

このころさかんになったオンラインでの名声を背にして、自身の音楽レーベル Stardom を設立し、そのプロデューサーとしても活動した。

正式デビュー[編集]

1999年1月、アルバム「In Stardom」で正式にデビューした。このアルバムは「未成年者購入不可」の判定を受けた最初のものだが、在庫がなくなるほどの人気で、9時のニュースで連日報道されるほどだった。

1999年8月に発表した第2集は、第1集にひきつづき、販売で1位を記録し、ブームをひきおこして、サイ、イ・ジョンヒョンなどの人気歌手の登場につながった。

このころ、今まで「顔を出さない歌手」として活動していた自身の顔を公開した。

2001年、会社名を Future Flow とあらため、制作室、スタジオ、宿舎をかねた社屋を竣工し、音楽制作の環境を整備した。

Ra.D や DNS などのアルバムを制作した後、経営に専念していたが、代表職を辞任し、大株主として経営権を維持する一方、運営はチョン・ウォングァンにまかせ、スタジオでの音楽制作に復帰した。

インスニと共同制作した曲「チングヨ(友よ)」が人気を呼び、ベテラン歌手と若手ミュージシャンの共同制作ブームのさきがけとなった。

2005年、ブラウンアイドガールズと共同制作したデジタル・シングル「Hold the Line」以後、おもてだった音楽活動をせず、事実上の引退状態になった。

復帰以後[編集]

軍に入隊、結婚、男子誕生と個人的な転機を経て、2010年、自身の音楽レーベル Stardom と Rhymer の音楽事務所 Brand New を合併し、多数の音楽制作者が所属する音楽制作会社 BrandNew Stardom を設立した。 2月、デジタル・シングル「ポランドゥシ(これ見よがし)」によって音楽界に復帰し、つづいてミニ・アルバムを3月に発表した。4月、かつてラップの歌詞のなかでこけにされたことのある Verbal Jint と一緒にデュエット・アルバムを発表して、発売記念コンサートを開催し、6月、ブラウンアイドガールズとデジタル・シングル「ラ ラ ランド」を発表、旺盛な活動を始めた。

以後、チョン・スルギ、ミスエス(Miss $)など所属歌手のアルバムを発売し、彼が投資して経営にたずさわっているソフトウェア会社「フォー・ビーカー」などの事業運営にあたる一方、当初11月発売予定だった彼自身の最後のアルバムの発表は先送りされた。

BrandNew Stardom は2011年3月、それまで準備してきたアイドル・グループ Block B のデビューを予定している。