利用者:Yhiroyuki/整理
おたく差別では、現代日本においてアニメ・漫画・その他など様々な普通の大人にはふさわしくないとみなされる事のある趣味に熱中している、いわゆるおたくと呼ばれる人々に対する差別・偏見について解説する。
歴史
[編集]1983年に中森明夫が『漫画ブリッコ』誌上のコラムで「おたく族」を紹介したのを機に、おたくの概念が知られるようになった。中森の表現は揶揄的で否定的なものであったが、SF・アニメファンが自嘲的な自己像として語っていたものと同質であり、SF・アニメファンはおたくを自認するようになった[1]。
当時の日本社会ではアニメ、漫画、美少女、ロリコン、ミリタリーなど普通とはみなされない趣味を持つ人々に対して、蔑視的な感情があった。さらに、「おたくは暗い」「社交性がない」という、主観的なステレオタイプの印象もあり、そういう人たちも指しておたくと呼ぶことがあった。おたくは多様な趣味をもつ人々の総称となったが、1980年代を通じて一括りに扱われた [2]。
1988年から1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件では、マスコミは犯人の異常性と趣味を結びつけセンセーショナルに取り上げた。犯人はビデオテープ、漫画、雑誌などを多数収集していたが、その中にあったホラー物、ロリコン物がことさらに取り上げられ、事件と関連付けて報道された[2][3]。多くの人々は、この事件を通じておたくを理解したので、おたくは危険視された[2][3]。この時期、「おたく」という言葉は放送問題用語とされ、テレビ放送で使用できない言葉であった[4]。現在でもこの影響は残っており、おたくを性犯罪と結びつける報道がなされることがある[5]。
1990年代には、おたくを変質者・犯罪者予備軍とみなす論調がある一方で、日本国外でのおたく趣味に関する報道や、岡田斗司夫などの著名なおたくによる情報発信により、おたくへの悪い印象は薄れ、おたくの社会的地位は大きく向上した[2]。1998年から99年にかけて大学生を対象に行われた調査によると、おたくへの印象は、まだ否定的な感情が優越していた[5]。
2005年にアキバ系おたくの青年が主人公の『電車男』が流行ると、世間のおたくへの印象は良い方向に変わっていった[6][5]。この頃から、副次的な要素にすぎなかった萌えがおたく文化の主要な要素とみなされるようになった。 「おたく=萌える人」「おたく=秋葉原にいる人」という偏見も生まれた[2]。また、この頃からクールジャパンが唱えられるようになると、おたくはその主体として重要視されるようになった。ただ、求められていたクールなおたくのイメージは実態と異なるものであった[6]。
2007年に大学生を対象に行われた調査によると、おたくが受容される傾向にあることが示されている。調査では、自らがおたくであると思い当たるフシがある、親しい友人におたく的な人がいると答えたものが増加しており、おたくの内集団化が進んだと考えられる。一方で、依然として否定的な印象が残っていることも示されている[7]。
参考文献
[編集]- ^ 森川嘉一郎「おたくと漫画」『ユリイカ』第40巻第7号、青土社、2008年6月、196-202頁、ISSN 13425641、NAID 40016131656。
- ^ a b c d e 岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』新潮社〈新潮新書〉、2008年。ISBN 978-4-10-610258-5。
- ^ a b 阿島俊「宮崎事件とおたくバッシング」『漫画同人誌エトセトラ'82-'98 状況論とレビューで読むおたく史』(初版)久保書店、2004年、158頁頁。ISBN 978-4-7659-0048-7{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。。
- ^ 岡田斗司夫『オタク学入門』太田出版〈新潮文庫〉、1996年。ISBN 978-4872332797 。
- ^ a b c 菊池聡、金田茂裕、守一雄「FUMIEテストを用いた「おたく」に対する潜在的態度調査」『人文科学論集人間情報学科編』第41号、信州大学人文学部、2007年4月、105-115頁、ISSN 1342-2782、NAID 110006389058。
- ^ a b ガルバレス・パトリック・ウィリアム「公の「オタク」のイメージを左右する秋葉原」2009年1月。
- ^ 菊池聡「「おたく」ステレオタイプの変遷と秋葉原ブランド」『地域ブランド研究』第4号、地域ブランド研究会事務局、2008年12月、47-78頁、ISSN 1881-2155、NAID 120001191373。