江戸時代に今の神田金物通りの一本北の道すじに流れていた小川
川幅は一間(1.8M)ほど
川は谷戸川から流れていて下流は不忍池に流れている。
名前の由来は川周辺に藍染の仕事をしている人が集まっておりその川の水を使って仕事をしていたからという説が有力。
明治17年東京で最初の都市下水工事が行われて藍染川もその対象となった。
人家が増え下水の通りが悪く、衛生状態を改善するために初めて近代下水道が建設され、藍染川やそこに架かっていた橋は姿を消した。
弁慶橋のほかに新橋、紺屋橋、汐見橋、白壁橋、掃部橋などがあるが詳細についてはあまり分かっていない。