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利用者:Yosuke Nagashima

長島 洋介(ながしま ようすけ、1978年- )は、日本の国際教育学博士。Ph.D.(インカーネートワード総合大学)。専門は、国際教育学、国際化学、文化比較教育学、日本語・英語同時通訳。現在、BCA Study Abroad 札幌プログラムのResident Directorで、北星学園大学にて勤務。

東京都生まれ。生家は、徳川光圀直系の武士の家に生まれ幼少より武芸や日本文化英才教育を受ける。また、実家は裕福な財閥一家。幼少時は、3歳年上の兄と天真爛漫に育つが、躾けの厳しい母親と現実的な父親に育てられる。

町田市立木曽中学校在籍中に、町田市の教育委員会主催で町田市の姉妹都市であるニュージーランドのオークランド市との国際交流のため中学生の交換留学に木曽中学校代表に選ばれ、約2週間の正規留学を14歳の時に体験。初代の中学生交換留学者20名のうちの一人で、町田市とオークランド市の国際交流に多くの功績を遺した人物。その後は、八王子高等学校・英文科に進学。この八王子高等学校の英文科も、初代英文科の32名の1人で、その後の英文科の国際交流や国際教育学の基盤を築いた人物。在学中に、オーストラリア・クィーンズランド州・ブリスベン市にあるカトリック系の有名男子私立校に1年間の正規留学。留学中は、日本伝統の茶道・空手・柔道などを披露し、日本とオーストラリアの国際交流をさらに深めた人物。美術部門では、制作した日本風景画家がオーストラリア政府クィーンズランド教育委員会の圧倒的な支持を得て州を代表する美術賞を受賞。

1998年夏、アメリカウエストヴァージニア州エルキンズ市にある小規模なデイビス&エルキンズ(Davis&Elkins College)に留学。本人は、日本人が夢見るロスアンゼルスやニューヨークをあえて留学先に選ばなかったのは、「本当の留学をしたかった。有名都市に留学をすれば生活費も高いし、日本人の人口も多いので日本語での会話や生活が多くなる」と言っている。この言葉は、後に留学を目指す日本人学生に本当の留学に対する意気込みや 決意を与え、彼に留学や教育のアドバイスを求める支持者が増え日本留学生の中では「師匠」「大先輩」「最長老」等と呼ばれている。2000年に、テキサス州サンアントニオ市にある南米トップクラスのリベラルアート大学であるインカーネートワード総合大学に編入。編入早々外国人留学生が多く所属する外国人留学生クラブ(International Student Organization)の代表者になりインカーネートワード大学の更なる国際交流に貢献した功労者になる。外国人留学生などが異国の地で学業的に悩む問題が軽視化されていたので各学部門の学部長と直接対話を数多くこなした実績者。この彼の電光石火の行動により、インカーネートワード大学はサンアントニオ市内でも知られるもっとも外国人留学生が在学する大学として今でも大きな前進を進めている。この功績により、Who`s Who Among American Colleges and Universities (アメリカ大学内で最も勉学や社会活動等で貢献した生徒に与えられる名誉賞)を日本人初で受賞。

2002年に、経済学の学士号を終了し大学院進学必修である英語検定試験(TOEFL)600点に合格しすぐに国際教育学専攻で同大学の大学院に進学。在学中に、教授をサポートするGraduate Assistant(教授補佐)として学内で働く。大学院修了頃は、教育学部にて専任講師として数多くの授業も受け持つ。

2005年大学院を修了し国際教育学の修士号を取得後、同大学の国際教育学・起業学専攻で博士課程に進学。在学中は、専任講師や教授補佐の仕事も続けながら、サンアントニオ市の国際交流にも携わる。 2006年から2009年の3年間にサンアントニオ市の行政担当日本語・英語の同時通訳者に認定され、サンアントニオ市の姉妹都市でもある熊本市の医療訪問者や教育訪問者の施設同行の同時通訳者に抜擢された。また、サンアントニオ市の日本部門担当コンサルタントとして任命され、数多くの日本企業の研究やビジネスの礎を築いた。

2009年より博士課程の卒業論文に取り掛かり、合計145冊の本やジャーナルを拝読・研究し合計240ページのQuantitative(量的)とQualitative(質的)研究方法が組合わせられた合同研究論文を20011年5月に書き上げ、サンアントニオ市でも伝統のあるホテルの協議室にて2000人の前で卒業論文最終プレゼンテーションを無事に終え卒業。同月、2年以上の交際・同棲を得て韓国系アメリカ人女性と結婚。彼は「自分の妻になる人」という32項目の要求を持っており、この32項目全てに当てはまった女性と結婚し幸せな新婚生活を送っている。彼が、その32項目の中で一番強く要求したのは、「その女性は、本物の女であること、妻であること、そしてやがて母親になること」であり、自分もそんな女性と巡り合える男になることを目指したと語っている。彼は「一夜限りの恋愛を楽しむ軽薄な女や男」や「他人不幸の上に自分の幸福を築く(浮気など)人」が一番嫌いで そのような人とは友達にもなりたくないとはっきり語っている。ここで、両親の厳しい家庭環境で育った彼の恋愛・結婚に対する姿勢が窺える。

現在は、北海道札幌市にある北星学園大学にてBCA Study Abroadを通して留学したアメリカ人のアドバイザーとして活躍している。自称「シティボーイ」であり、札幌の生活は退屈みたいだが海外で鍛えられた柔軟性を用いて頑張っている模様。来学期の平成24年度よりこの北星学園大学にて「アメリカの文化学 (American Culture)」「現在の国際化の問題(Contemporary Global Issues)」等を教える予定になっている。