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利用者:Youse1201

歴史

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六勝寺

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この地は、平安時代法勝寺等、六勝寺と総称される6か寺の大寺が建立された故地である。その名は、現在でも各寺の故地に町名となって残されている。[1]

内国勧業博覧会

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壮麗を極めた往時の六勝寺の伽藍も、その後の戦乱で灰燼に帰してしまい、幕末維新の頃には、岡崎には人家も疎らで、空き地が広がっていた。明治時代、東側に隣接する蹴上の地域に、琵琶湖疏水が引かれ、日本初の水力発電所が建設され、インクラインを利用した水運も発達すると、岡崎の地を琵琶湖疏水の本流が西流するようになった。1892年には、京都市の有力者が、平安遷都千百年紀年祭とあわせて、内国勧業博覧会の誘致運動を進め、会場として聖護院・岡崎周辺を想定した[2]

1895年には、疏水の北側の地域を会場として内国勧業博覧会が開催され、賑わいを取り戻した。その会場跡に造営されたのが、平安神宮であり、その他、文化施設も建設され、1903年には、博覧会場の南東部に東宮御慶事紀年動物園が開園し、京都市会が博覧会場跡の市有地を岡崎公園とすることを決議し[2]1904年に公園が開設された[3]。その後、公園には、1909年には京都府立図書館が建設された。さらに、1928年の大礼記念京都大博覧会の翌年には、大鳥居が新設され、1933年には京都市美術館が開館した[2]

  1. ^ 『京都大事典』淡交社 1984年 p.991
  2. ^ a b c 京都岡崎の文化的景観調査報告書 京都市 文化市民局 文化芸術都市推進室 文化財保護課,平成25年3月21日発行
  3. ^ 岡崎の歴史 京都・岡崎コンシェルジェ 2017年平成29年)3月5日