利用者:Yuko Yamada
【古代インド哲学に見る量子学】
「カイヴァルヤ・ウパニシャッド」より 『私から全てのモノは現れ、私の内に全てのモノは存在し、私へと全てのモノは帰る。私はブラフマン―――唯一にして、第二のものを持たぬモノである。・・・』
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決して情報の羅列、或いは「知っている」と言う理解だけが知識とは限らない。人生の実際においての経験から体得した「実感」を伴う、知っていると言う理解でありたい。 古代インド哲学に於ける「梵我一如」・「不二一元」の感性はどのように表現されるか、受容する者の立場から、論述式の方法のみでは把握できないであろうと、想像される。 無知な自分がそうであったように、全ての人に古代インド哲学と量子学の一致を垣間見られるように、分かり易い方法で述べていくことを自分自身に望む。
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古い観念・感性では、「神」は「天」・「宇宙」と言った、自分を包んでいる「外界」に在ると思っている。 古代インドにウパニシャッドという哲学書があった。これは「梵我一如」「不二一元」を説いていた。 ここで世界大百科事典第2版の解説を引用する『インド哲学の主流を成すベーダーンタ学派中の最も有力な、シャンカラ(700頃~750頃)を開祖とする学派。サンスクリット語でアドバイタAdvaitaと呼ばれる。この学派の哲学的立場は不二一元論と言われ、ウパニシャッドの梵我一如の思想を踏まえ、宇宙の根本原理ブラフマンは個人の本体であるアートマンと全く同一であり、ブラフマンすなわちアートマンのみが実在し、それ以外の一切は無明またはマーヤー(幻力)に基づき、あたかも幻影のように実在しない。』とある。 「梵」はブラフマン(=宇宙我)、「我」はアートマン(=自己我)、それらは「一如」一つだ。と言うのが「梵我一如」の思想。 不二一元論はその思想を強くしたものであると考えてよいのではないだろうか。 ブラフマンは宇宙。アートマンは自分。そしてこの解説によるとアートマン:自分のみが存在し、自分は宇宙だ。と言う事に成る。 さて、宇宙は我々の内にミクロの世界に在る。マクロ的宇宙ばかりが宇宙ではないと、今どきの人は理解している。 唯一実在する、とャンカラが言っている「ブラフマンすなわち”アートマン”」にミクロ的宇宙を感じないだろうか? 【カイヴァルヤ・ウパニシャッド】より
[弟子] 師よ、ブラフマンの知識を私にお教えください。私はそれが、隠された、聖なる、賢者に、よって尋ね求められる最高の知識であるということを、またソレを求める者は不浄から離れ、至高の存在に到達する者であるということを聞いております。 [師]経典の言葉とグルへの信頼を得ることによって、ブラフマンを知るよう努めよ。ブラフマンに帰依せよ。絶えずそれを瞑想せよ。祭式によらず、子孫によらず、財産にもよらず、ただそれに帰依することにより、また、世俗に対して無関心であることにより、人は不死に達するのである。 最高の天界は、心臓の蓮華の内に輝く。懸命に努力し、切望する者は、そこに入る。聖典の教えの神髄を理解して、彼らは世俗を放棄する。・・・・・続く
このカイヴァルヤの言う事から、量子哲学を思い出したのです。
カイヴァルヤは『最高の天界は心臓の蓮華の内に輝く』言います。「アートマン=ブラフマン」と言っているだけではなく「アートマンこそブラフマンである」と。
そして、『私から全てのモノは現れ、私の内に全てのモノは存在し、私へと全てのモノは帰る。私はブラフマン―――唯一にして、第二のものを持たぬモノである。・・・続く』と言っています。この古代インド哲学に量子学を見る事が出来るのではないでしょうか!?
Yuko Yamada
2016/11/03 14:30
文献:湯田豊:著「ウパニシャッド―翻訳および解説―」 日本ヴェーダーンタ協会「ウパニシャッド」 世界大百科事典第2版