利用者:Zeamonde/下書き1
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鶴見事故 | |
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発生日 | 1963年(昭和38年)11月9日 |
発生時刻 | 21時50分50秒から同51分30秒の40秒間(JST)[1] |
国 | 日本 |
場所 | 神奈川県横浜市鶴見区生麦町(当時)北緯35度29分32.06秒 東経139度39分45.83秒 / 北緯35.4922389度 東経139.6627306度座標: 北緯35度29分32.06秒 東経139度39分45.83秒 / 北緯35.4922389度 東経139.6627306度 |
路線 | 東海道本線 |
運行者 | 日本国有鉄道・関東支社東京鉄道監理局 |
事故種類 | 多重衝突事故 |
原因 | 競合脱線 |
統計 | |
列車数 | 合計3本(貨物列車1本、旅客列車2本) |
死者 | 161人 |
負傷者 | 120人 |
鶴見事故(つるみじこ)は、1963年(昭和38年)11月9日夜に神奈川県横浜市鶴見区で発生した、列車脱線多重衝突事故である[2]。
同日21時50分50秒頃[1]、日本国有鉄道(国鉄、現・東日本旅客鉄道)東海道本線鶴見駅 - 新子安駅間の滝坂不動踏切(現・滝坂踏切)付近の下り貨物線を走行していた貨物列車の最後部から3両目の貨車が脱線し、架線柱に激突したあと編成から切り離され、後部2両の貨車と共に上り旅客線側へ横転した。平行する下り旅客線を走行していた旅客列車が事故を現認し、非常制動を掛けて急減速した。その直後の21時51分30秒頃に上り旅客線を走行する旅客列車が横転した貨車に衝突し脱線、弾みで減速中の下り旅客列車に衝突したことで、死者161人、重軽傷者120人にのぼる人的被害を出す大惨事となった[1]。
概要
[編集]事故現場(おおよその位置座標)は、東海道本線の鶴見 - 新子安間に位置していた滝坂不動踏切(位置座標)から鶴見寄り約500 m地点である[2][要検証 ]。
- ^ a b c 日本国有鉄道監査委員会委員長・岡野保次郎 1964, pp. 287–289.
- ^ a b “第10回:大本山總持寺境内にある鉄道事故関係慰霊碑等について”. 横浜市鶴見区. 横浜市 (2019年3月4日). 2022年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月14日閲覧。 “鶴見事故慰霊碑”