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利用者:Zlink/sandbox

概要

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P-MODELの初のフルアルバムとなり、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』がアルバムのコンセプトの下敷きにある[1]。大半の楽曲は前身バンド・MANDRAKE時代から演奏されており、これが結成から8ヶ月弱というスピードデビューに繋がった。なお本作のみ、平沢の実兄である平沢裕一が作詞に参加している。

また、佐久間正英の初プロデュース作品である[2]。佐久間は本作がきっかけとなり多くのミュージシャンへのプロデューサー業を展開していく事となった[3]

1999年に発売されたアルバム『VIRTUAL LIVE-1』で本作がフルリメイクされたが、「ソフィスティケイテッド」のみ収録されなかった。

制作の背景

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本作のプロデューサーとして、プラスチックスのメンバーであった佐久間を迎えることとなった。

佐久間は後年、「屋根裏でプラスチックスのライブをやった時に平沢君が『プロデュースして欲しい。』と声をかけてくれ、カセットを渡してくれたんですよ。」と語っている[4]

メンバーの平沢は、プログレッシブ・ロックバンドだった四人囃子からプラスチックスへ加入した佐久間と、同じくプログレッシブ・ロックバンドだったマンドレイクがP-MODELになった流れが似たものを感じて共感しており「佐久間さんが居てくれるなら安心という感覚はありました」と回顧している[5]。その反面、レコーディングにおいては佐久間と対立することもあり、「やっぱり佐久間さんが提示する方向性は『常磐線ノイズ』じゃないんです。」と語っている[6]

また、MANDRAKE時代の楽曲である「異邦人[※ 1]、P-MODELになってから制作した「ホワイト・シューズ」[※ 2] も収録予定だったがキャンセルとなった。


制作の背景

1993年10月、日比谷野外大音楽堂でのライブイベント「ERROR OF INFORMATION"待機"」を以て、メンバーを『改訂』(再編成)するために『待機』状態となったP-MODELは、同イベント中に所属していたレコード会社であるポリドールとの契約を解除したことと、一年後の日比谷野音にて「改訂作業」を完了させ、新体制でのライブを行うことを宣言していた。

1994年9月、「若干のバグが発見された」としてP-MODELの活動再開は延期され、同会場では代わりとして平沢進ソロによるライブイベント「HIRASAWA ERROR ENGINE 平沢三幕三時間」が開催された。

実際のところ平沢はメンバー集めに難航しており、1993年の『待機』の楽屋裏で小西健二とそのような話をしていた際、小西が「じゃあ一応、名乗りをあげておくよ」と自らメンバーに立候補をする。1994年には平沢ソロのサポートメンバーであった上領に打診し、お互い話を重ねた上で承諾。

この時点で小西・上領の参加は決まっていたが、4人目のメンバーが決まらず、この頃に小西が偶然インターネット上で知り合ったのが福間であった。

小西が福間の職場にやって来て「P-MODEL入らへん?」と持ちかけ、その後『三幕三時間』を見に行った福間はそこで平沢と面接を行った。面接の末、メンバー入りが決定し、晴れてP-MODELは福間創(System-1)、小西健二(Sysytem-2)、上領亘(AlgoRhythm)の編成で『改訂』作業が完了した。

1994年12月に行われた事務所主催のイベント「I3DAYS'94」にて活動再開し、そのまま1995年1月よりアルバム制作の作業に入った。

しかしながら、P-MODELは次のレコード会社と契約をしていないままレコーディングに入っており、ブランクを空けてはいけないとして、先行して「Corrective Errors」が発売されることになった。



『モンスター』
P-MODELスタジオ・アルバム
リリース
録音 -
ジャンル テクノポップ
ロック
レーベル -
P-MODEL アルバム 年表
-モンスター
(1988年)
-
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モンスター』は、日本の音楽ユニットであるP-MODELの未発表アルバム。

経緯

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  • 1987年2月、『ONE PATTERN』の次作アルバムに向けて制作準備に入る。本作のレコーディングは、アルファレコードのスタジオであったスタジオAではなく、『KARKADOR』でも使用したGOK SOUND STUDIOを借りて行う予定であり、GOK SOUND代表である近藤祥昭をレコーディング・エンジニアとして迎える予定であった[7]。アルバム制作に向けて各メンバーはデモ音源を制作し、大量の楽曲を持ち寄って選定作業を行った。選定作業はプロデューサーであった神尾明朗も交え、高橋が作曲した楽曲も初めて収録される予定であった[8]
  • しかしながら、レコーディング初日にアルファから突然レコーディングの中止を通達される。平沢は当時の状況を「レコーディング・スタジオに入ってから“さあ、リズム・トラックの録音だ。シンク信号を録ろう”という段階で、なぜかディレクターがいないことに気がついた(苦笑)。」と語っている。また、平沢・中野によると「企画書・デモ・曲目まではレコード会社に通っていた」と認識しており、当時のプロデューサーであった神尾明朗が間に立ってレコーディングまでは進めてくれたと語っている。ただし、中野は「ちょっとバンド側の強行的なレコーディングっぽい感じがあったと思うんですよね。」と述懐している。
  • アルファには収録予定曲であった「コヨーテ」のデモ音源を提出し、アルバムの代わりにEPを発売するといった計画を提出していたが、アルファの判断は揺るがなかった。高橋は「当時のPはレコード会社にとってアルバム出す価値の無いバンドスレスレの存在。」と述懐している。
  • レコーディング中止を受けてもバンドは楽曲制作を続け、いくつかの楽曲はライブでも披露していた。この時期のP-MODELはアルバム制作の代わりにライブでの演出やパフォーマンスに力を入れるようになり、レコード会社とのトラブルに相反してライブでの動員数は増え続けていった。これはアルファの態度が変わることを期待しての活動であったが、最終的に同年秋にはアルファとの契約を打ち切ることとなった。この時期の映像は作品『三界の人体地図』、音源が『太陽系亞種音』に収録されている。
  • 次のレコード会社との交渉が難航し、その間に荒木と高橋が脱退・ことぶきが加入、田井中が復帰といったメンバーチェンジもあったが、徐々に平沢はバンド活動に疲弊していった。平沢はバンドのリーダーとして、レコード会社との交渉やバンドのスケジュールなどの決定権を引き受けており、「あまりにも自分ひとりになっている感触があって、これ以上P-MODELという看板をしょって続けていくのは、あまりにも辛かったんです」と回顧している。1988年6月にはメンバー間で話し合いが行われ、その中で一時的に持ち直したが、最終的にバンド活動自体1988年12月を以って「凍結」となり、各メンバーはそれぞれの活動をしていく事となる。
  • その後、『モンスター』に収録される予定だった一部の楽曲は平沢ソロアルバム『時空の水』、中野ソロアルバム『USER UNKNOWN』で各々がセルフカバーしている。P-MODELボックスセット『太陽系亞種音』には収録予定曲のライブ音源と「MONSTER A GOGO」の制作当時のデモテープの上に2002年の平沢によるボーカルが入ったものが収録されている。
  • 高橋は平沢が歌うイメージで楽曲制作をしていたが、平沢は「後から入ってくるメンバーはたいがい遠慮して、平沢方言とも言える、ぼくに似た曲を作ってきてしまう。「好きにやっていいよ」と言いながらメンバーの力を引き出そうともしてるんだけど、自分だけ活動が長いから、対等のレベルで関わるのが難しくなった。それに、自分は人より一歩引いてしまう性格なんだけど、だからって他のメンバーを前面にも出せないし。」と述べている。

収録予定とされていた楽曲

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全作曲・作詞:平沢進、全編曲:P-MODEL(注記を除く)

#タイトル作詞作曲・編曲
1.「MONSTER A GOGO」  
2.「MONSTERS A GOGO」(作曲・作詞:中野 照夫)  
3.「CALL UP HERE」(作曲・作詞:中野 照夫)  
4.「CRUEL SEA」(作曲・作詞:中野 照夫)  
5.「コヨーテ」  
6.「仕事場(仮題)」  
7.「げん(仮題)」  
8.「オルゴール」(作曲:平沢 進)  
9.「ヘブン・ハデス」(作曲:高橋 芳一)  
10.「タイトル不明」(作曲:高橋 芳一)  

楽曲解説

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MONSTER A GOGO
2002年に発売されたP-MODELボックスセット『太陽系亞種音』に制作当時のデモテープの上に2002年の平沢によるボーカルが入ったものが収録されている。
その後、2023年に行われた平沢進+会人によるライブ『HYBRID PHONON 2666』にて歌詞を一部変更した新バージョンが披露された。
MONSTERS A GOGO
凍結後に中野が所属したバンド、ロング・バケーションにより大幅にアレンジを変え「LONG LONG VACATION」として『LONG VACATION'S TOUCH Vol.3』に収録された。
CALL UP HERE
1986年の中野加入時よりライブで披露されていた楽曲。『ONE PATTERN』には収録されず、今作でようやくレコーディングされる予定であった。
1996年に発売された中野ソロ・アルバム『USER UNKNOWN』にセルフカバー版が収録された。
仕事場(仮題)
「仕事場はタブー」として平沢ソロ・アルバム『時空の水』に収録された。
げん(仮題)
「デューン」として平沢ソロ・アルバム『時空の水』に収録された。
オルゴール
ボーカルが存在しないスケッチとしてメンバーに聞かせただけであり、完全なる未発表曲となっている[9]
タイトル不明
高橋が本作のために制作していた楽曲。この楽曲の一部は、高橋在籍最後のライブとなった『グレーテルの一撃?』内で高橋ソロセットとして披露された。
2010年に発売された高橋ソロ・アルバム『Trace Back Data』に収録された「Tou No」はこのときのソロセットが下地となっている。


  • 平沢ソロ・アルバム『ヴァーチュアル・ラビット』収録曲「嵐の海」のイントロが本作に収録される予定であった楽曲のイントロをそのまま流用している。

参加ミュージシャン

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P-MODEL
1987年
1988年

出典・注釈

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  1. ^ 『改訂復刻DIGITAL版音楽産業廃棄物』P-MODEL SIDE Open Sourse(Shop Fascination、33/139(p.33))
  2. ^ 佐久間正英インタビュー”. 井桁学のギターワークショップ (2001年11月23日). 2021年2月6日閲覧。
  3. ^ 30th anniv. - Masahide Sakuma”. web.archive.org (2016年3月4日). 2022年5月19日閲覧。
  4. ^ 【People of Sound】第29回 佐久間正英さん | Rock oN Company”. media.miroc.co.jp. 2022年5月19日閲覧。
  5. ^ 『音楽産業廃棄物 卓上のウロボロス』 p.48
  6. ^ 『音楽産業廃棄物 卓上のウロボロス』 p.49
  7. ^ https://x.com/UTS_takahashi_y/status/1410536252286279681
  8. ^ https://x.com/UTS_takahashi_y/status/660045606505701376
  9. ^ https://web.archive.org/web/20141129031349/http://8760.susumuhirasawa.com/modules/ooparts/index.php?fct=photo&p=180

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