コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:Zudorina/sandbox

川島 敏男

[編集]
川島 敏男
ファイル:川島敏男 main.jpg
生誕 1961年7月2日
出身校 明治大学商学部産業経営学
職業 株式会社ヴェルジェ創業者
株式会社omegu役員
一般社団法人野菜平和大学理事長
高校野球プレゼンテーション大会実行委員長
Baseball5 リーグTOKYO代表
テンプレートを表示


川島 敏男(かわしま としお、1961年昭和36年〉7月2日 - )は、日本の社会貢献家。株式会社ヴェルジェ創業者、株式会社omegu役員,一般社団法人野菜平和大学理事長、高校野球プレゼンテーション大会実行委員長、Baseball5 リーグTOKYO代表。

株式会社ヴェルジェを創業した川島5兄弟の次男。

高校2年生時に選手として、また選手引退後も高校野球部のコーチ・助監督として、甲子園大会を経験する。

社会貢献家として、「教育」・「野球」を切り口に、旧来の社会システムから、誰もが活躍でき、考え、主体的に成長していける社会システムにアップデートしていく活動に尽力している。

来歴・人物

[編集]

東京都杉並区出身。練馬区立豊渓小学校、日本大学第二中学校、日本大学第二高等学校を卒業。幼稚園から野球を始め、旭町キング(後の豊渓クラブ)ではキャプテンで遊撃手を務める。日大二中野球部1年時に、以降のプレーがままならなくなる肩の怪我を負い大きな挫折を経験。しかし、恩師の言葉との出会いをきっかけに一念発起しその後は専任の三塁コーチャーとして活躍。日大二高2年時には甲子園に出場し、三塁コーチャーとして甲子園のグラウンドに立つ。明治大学に入学すると、これまでの活躍が島岡吉郎元監督の目に留まり明治大学野球部初の三塁コーチャーとしてセレクションに合格、入部を決める。

明治大学卒業後は、株式会社ヴェルジェに創業から従事。2004年3月に、日々のお客様と向き合う中での体得したノウハウを著した『お客様が教える「売れる商品」の見つけ方』を出版。アマゾンビジネス部門で1ヶ月間売上1位を記録する。

株式会社ヴェルジェ本部長として各領域を横断的に統括する傍ら、人生を変えた『甲子園の心』の精神を広める活動を行う。

監督や審判のいない中で一人一人が考えてプレーする「和球」の開発や、コロナによって甲子園の出場機会が奪われてしまった高校球児を対象に、自分にとっての甲子園を考え直す機会を作ろうと開催した「高校野球プレゼンテーション大会」など、人間育成を目的とし様々な活動を精力的に展開している。

三塁コーチャーとして

[編集]

甲子園に恋焦がれて野球に励んでいた13歳で肩を壊し野球生命を絶たれてしまう。絶望に打ちひしがれていたある時、佐藤道輔氏著の『甲子園の心』を読み、実際に甲子園でプレーすることは叶わずとも、自分の心に理想郷として存在する甲子園を追い求め続けたいと、気持ちを新たにし三塁コーチャーという役割を見出す。

三塁コーチャーとしての活動に注力していた日大二高2年時、西東京大会決勝で東大和高校を敗り甲子園出場を果たし三塁コーチャーとして憧れの地であった甲子園のグラウンドに立つ。

選手引退後はしばらく野球から離れていたが、母校の監督からの「三塁コーチャーを育成して欲しい」という要請を機に野球部のコーチ・助監督として野球に復帰する。指導時に三塁コーチャーの重要性を再認識し、三塁コーチャーとしての原理原則を編纂し多くの方に届けたいと本の執筆に取り組んでいる。

エピソード

[編集]
  • 高校2年時、甲子園を決める決勝戦で対戦したのは、恩師である佐藤道輔率いる都立東大和高であった。なお、今も心の本として佐藤道輔氏著の「甲子園の心」は読み返している。

著書

[編集]
  • 『お客様が教える「売れる商品」の見つけ方』フォレスト出版 2004

脚注

[編集]