利谷信義
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人物情報 | |
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生誕 |
1932年(昭和7年)8月6日 日本統治下朝鮮・釜山(現・ 韓国) |
死没 |
2019年8月19日(87歳没) 日本・東京都西東京市 肺炎 |
居住 | 日本統治下朝鮮 → 日本 |
国籍 | 日本統治下朝鮮 → 日本 |
出身校 | 東京大学 |
学問 | |
時代 | 昭和時代中期 - 令和時代初期 |
活動地域 | 日本 |
研究分野 |
民法 法社会学 |
研究機関 |
日本・東京都立大学 日本・東京大学 ドイツ・フライベルク大学 ドイツ・ベルリン自由大学 日本・お茶の水女子大学 日本・東京家政学院大学 |
主な受賞歴 | ドイツ連邦共和国第一級功労十字章(1991年) |
利谷 信義(としたに のぶよし、1932年(昭和7年)8月6日 - 2019年(令和元年)8月19日[1][2])は、日本の法学者。専門は、民法・法社会学)。東京大学名誉教授、お茶の水女子大学名誉教授、東京経済大学名誉教授。
経歴
[編集]- 1932年(昭和7年) - 釜山(現・韓国)に生まれる。
- 1951年(昭和26年) - 愛媛県立松山北高等学校卒業
- 1955年(昭和30年) - 東京大学法学部卒業
- 1957年(昭和32年) - 東京大学大学院社会科学研究科民刑事法専門修士課程修了
- 1966年(昭和41年) - 東京都立大学法学部助教授
- 1969年(昭和44年) - 東京大学社会科学研究所助教授
- 1973年(昭和48年) - 東京大学社会科学研究所教授
- 1985年(昭和60年) - フライベルク大学客員教授(5月 - 9月)、ベルリン自由大学客員教授(10月 - 1986年(昭和61年)3月)
- 1990年(平成2年) - 東京大学社会科学研究所所長( - 1992年(平成4年)3月)
- 1991年(平成3年) - ドイツ連邦共和国第一級功労十字章受章
- 1993年(平成5年) - 東京大学定年退官、名誉教授、お茶の水女子大学生活科学部教授
- 1996年(平成8年) - お茶の水女子大学ジェンダー研究センター長
- 1998年(平成10年) - 東京経済大学経済学部教授
- 2000年(平成12年) - 東京経済大学現代法学部長
- 2004年(平成16年) - 東京経済大学名誉教授、お茶の水女子大学名誉教授
- 2005年(平成17年) - 東京家政学院大学・短期大学学長
- 2019年(令和元年)8月19日 - 肺炎で死去。87歳没[2]。
主な研究課題
[編集]著作
[編集]共編
[編集]- 現代日本の法思想(渡辺洋三共編 日本評論社 1972年)
- 日本の法学者(潮見俊隆共編 日本評論社 1975年)
- 日本型クラインガルテン実現へのビジョン(和田照男共編著、ぎょうせい、1994年6月)
- 戸籍と身分登録(鎌田浩、平松紘共編、早稲田大学出版部、1996年12月)
- 『現代家族法学』(法律文化社、1999年)
国際貢献・国内貢献
[編集]- 日本学術会議会員(1988年 - 1997年)
- 日本法社会学会理事長(1990年 - 1996年)
- 総理府男女共同参画審議会委員(1994年 - 1997年)
- 比較家族史学会会長(2000年 - 2002年)
- 日本農業法学会会長(2002年 - 現在?)
- 社団法人農山漁村女性・生活活動支援協会会長(2004年 - )
栄典
[編集]参考資料
[編集]脚注
[編集]- ^ “利谷信義氏死去/お茶の水女子大名誉教授”. 四国新聞社. (2019年10月7日) 2020年10月23日閲覧。
- ^ a b “利谷信義さん死去”. 朝日新聞. (2019年10月8日) 2020年10月23日閲覧。
- ^ “平成22年春の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 15 (2010年4月29日). 2010年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月22日閲覧。