コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

前田勇 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 勇
まえだ いさむ
生年月日 1879年1月23日
没年月日 (1967-12-22) 1967年12月22日(88歳没)
所属政党 公正会
称号 陸軍大佐
男爵
子女 三男・前田正男(元科学技術庁長官
親族 孫・前田武志(元国土交通大臣

日本の旗 貴族院議員
選挙区 貴族院男爵議員
当選回数 2回
在任期間 1937年1月16日 - 1946年4月15日
テンプレートを表示

前田 勇(まえだ いさむ、1879年明治12年)1月23日[1] - 1967年昭和42年)12月22日[1][2])は、明治後期から昭和前期の陸軍軍人政治家華族。最終階級は陸軍大佐貴族院男爵議員

経歴

[編集]

生い立ち

[編集]

加藤謙治の三男として生まれ、陸軍中将である前田隆礼の娘婿として養嗣子となる[1]1900年明治33年)11月21日、陸軍士官学校(12期)を卒業[3]。翌年6月25日、歩兵少尉に任官した[4]1907年(明治40年)10月2日、養父の功により男爵を叙爵した[1][5][6]

軍歴

[編集]

歩兵第68連隊中隊長、歩兵第57連隊大隊長、第1師団副官関東軍副官、盛岡連隊区司令官などを歴任[2][5]1924年大正13年)、歩兵大佐に昇進[2][5]。その後、第16師団司令部付となり京都府立医科大学配属将校となった[5]1928年昭和3年)、予備役に編入された[2][5]

政界歴

[編集]

1937年(昭和12年)1月16日、貴族院男爵議員補欠選挙で貴族院議員に選出された[7]1939年(昭和14年)7月10日に第8回貴族院男爵議員選挙で貴族院議員に連続当選を果たした[8]。貴族院では公正会に属した[2]1946年(昭和21年)4月15日、貴族院議員を辞職した[9][10]。また、岡本工業顧問を勤めた[2][5]

栄典

[編集]
位階
勲章等

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、544頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』84頁。
  3. ^ 『官報』第5220号、明治33年11月24日。
  4. ^ 『官報』第5393号、明治34年6月26日。
  5. ^ a b c d e f 『華族総覧』309頁。
  6. ^ 『官報』第7280号、明治40年10月3日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、45頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、48頁。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、55頁。
  10. ^ 『官報』第5795号、昭和21年5月13日。
  11. ^ 『官報』第5484号「叙任及辞令」1901年10月11日。
  12. ^ 『官報』第386号「叙任及辞令」1913年11月11日。
  13. ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1928年10月10日。
  14. ^ 『官報』第7280号「叙任及辞令」1907年10月3日。
  15. ^ 『華族総覧』309-310頁。
  16. ^ a b 『華族総覧』310頁。

参考文献

[編集]
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』下巻、社団法人霞会館、1996年。
  • 千田稔『華族総覧』講談社〈講談社現代新書〉、2009年。


日本の爵位
先代
(叙爵)
男爵
前田(隆礼)家初代
1907年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)