前谷省三
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前谷 省三(まえたに しょうぞう、1887年〈明治20年〉ころ - 1936年〈昭和11年〉)は日本の農家。北海道琴似村で活動した。
身長170センチ・体重100キロの筋骨たくましい体つきであり、若勇(わかいさみ)の四股名で草相撲の大関を張った[1]。秋祭の折には[2]、若者10人あまりを連れて南空知まで出向き、豪快な取口を披露したという[1]。
来歴
[編集]1913年(大正2年)3月[2]、25歳で富山県砺波村から北海道へ渡る[3]。琴似村の牧場(まきば、後の札幌市北区新川)に入ったのち、畑20町歩を手掛け、乳牛20頭を飼育した[4]。
1920年(大正9年)から、建築業も営むようになる[4]。農事試験場の建築にも参画した[2]。
1921年(大正10年)、相撲からの引退を記念し、親しい知人たちの寄付によって、琴似川に架かる新川橋のたもとに力士若勇碑が建立される[2]。後年、この碑は「北区歴史と文化の八十八選」No.26に選定された。
1926年(大正15年)、琴似村村会議員に当選し、以後3期にわたって務めた[4]。
1930年(昭和5年)ころ、新川橋の架け換えを18000円で請け負い、実額10000円で仕上げることに成功したため、大いに喜ぶ[5]。設計図にはなかったサービスとして橋をタイル張りにし、地元民を驚かせた[5]。しかし当時の馬車は鉄の車輪で走り、それを牽引する馬も蹄鉄を履いていたため、荷重に耐えかねたタイルは次々とひび割れていき、1年足らずで普通の木の橋となってしまったという[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新川郷土史』新川郷土史編纂委員会、1980年4月5日。
- 『新川百年:新川開基百年史』新川開基百年記念協賛会、1990年5月20日。