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劉循

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
劉循
後漢
奉車中郎将
出生 生年不詳
荊州江夏郡竟陵県
拼音 Liú Xún
主君 劉璋劉備
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劉 循(りゅう じゅん)は、中国後漢末期の武将。本貫荊州江夏郡竟陵県[1]益州劉璋の長子。妻は龐羲の娘[2]

建安18年(213年)、劉備の攻撃から雒城を守った。固守すること1年に及んだが、建安19年(214年)に雒城は陥落。同年内に成都の劉璋も降伏した(劉備の入蜀[3]

劉備の支配下では、劉璋は荊州の公安県に移住させられたが、劉循は益州に留められ、奉車中郎将に任じられた[2]

三国志演義

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羅貫中の小説『三国志演義』では第62回から登場[4]。史実と同じく、劉備の攻撃から雒城を守る。ただし共に雒城を守った張任劉璝とは異なり、出撃して劉備軍と交戦した描写はない。

守将の一人である張翼が劉璝を殺し、劉備に降伏すると、城を抜け出し成都へと逃げ帰った[5]

脚注

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  1. ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書 劉焉伝記載、祖父の劉焉の本貫。s:zh:三國志/卷31#劉焉
  2. ^ a b 『三国志』蜀書 劉璋伝 s:zh:三國志/卷31#劉璋
  3. ^ 『三国志』蜀書 先主伝 s:zh:三國志/卷32
  4. ^ s:zh:三國演義/第062回
  5. ^ s:zh:三國演義/第064回