劉恩源
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劉恩源 | |
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プロフィール | |
出生: | 1873年(清同治12年) |
死去: | 不詳 |
出身地: | 清直隷省河間府河間県 |
職業: | 政治家・軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 劉恩源 |
簡体字: | 刘恩源 |
拼音: | Liú Ēnyuán |
ラテン字: | Liu En-yüan |
和名表記: | りゅう おんげん |
発音転記: | リウ オンユエン |
劉 恩源(りゅう おんげん)は、中華民国の政治家・軍人。北京政府の要人。字は文泉。
事跡
[編集]天津武備学堂を卒業後、ドイツに留学した。帰国後は、陸軍部参議、大総統府軍事顧問、浦口商埠事宜督弁などを歴任した。
1923年(民国12年)1月、張紹曽内閣で財政総長に起用され、塩務署督弁も兼任する。しかし同年5月、早くも辞任する。以後は天津に寓居した。1935年(民国24年)12月、冀察政務委員会の顧問に任用される。あわせて東亜協進会常務理事に就任した。
以後、劉恩源の行方は不明である。
参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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