劉既漂
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劉 既漂(りゅう きひょう、簡体字: 刘既漂、繁体字: 劉既漂、拼音: 、リウ・ジーピャオ、1900年6月4日 - 1992年4月15日)は、中国の画家(装飾美術)[1][2]、建築家[3]。
生涯
[編集]1900年、広東省梅州市興寧区イエタン村柳橋の客家の家に生まれた。、1918年から1927年までフランスに留学し、パリ大学とフランス美術アカデミーを卒業。
1927年に帰国して国立西湖美術学院(現: 中国美術学院)の設立に参加し、1929年には杭州で西湖博覧会の外観のデザインに参加した。
1932年、潘鳳翔と結婚し、同年、南京に「大方建築設計公司」を設立した。 日中戦争が勃発すると上海と南京の事務所を閉めて広州に行った。
1947年に渡米し、1949年にランドリーを開き、1953年に友人に売って養鶏場を始め、1968年には絵画を勉強した。
1992年4月15日、アメリカのニュージャージー州にて91歳で亡くなった。
その他
[編集]蔡元培の長女であるウィリアム・蔡は、劉既漂の絵画を芸術運動協会の展覧会に出品した。
脚注
[編集]- ^ Amandari Kanagaratnam (2015年6月14日). “Liu Jipiao & the Birth of Chinese Art Deco • Shanghai Art Deco”. Shanghaiartdeco.net. 2020年2月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月8日閲覧。
- ^ Sullivan, Michael (2006). Modern Chinese Artists: A Biographical Dictionary. University of California Press. ISBN 0520244494
- ^ “Three key architects of Shanghai's Art Deco era”. Time Out Shanghai. Time Out Group Ltd. (2015年11月10日). 2020年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月8日閲覧。 “...is remembered as the first Chinese Art Deco architect”
外部リンク
[編集]- Liu Jipiao website with examples of work アーカイブ 2020年10月29日 - ウェイバックマシン