加藤鋠二
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加藤 鋠二 | |
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生誕 |
1880年2月25日 日本 広島県 |
死没 | 1958年9月28日(78歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1901年 - 1932年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
加藤 鋠二(かとう しんじ、1880年(明治13年)2月25日 - 1958年(昭和33年)9月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴・人物
[編集]広島県出身[1]。1901年(明治34年)陸軍士官学校第13期卒業[1]。
1923年(大正12年)10月15日に陸軍技術本部部員兼陸軍工兵学校教官、1924年(大正13年)2月4日に陸軍工兵大佐兼陸軍通信学校研究部部員、1929年(昭和4年)8月1日に陸軍少将・陸軍科学研究所第1部長を経て、1932年(昭和7年)4月11日に待命、同月28日に予備役に編入した[1][2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
栄典
[編集]- 勲章
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。