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加藤雅晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

加藤 雅晴(かとう まさはる)は新潟県出身の日本柔道家。階級は重量級(93kg超級)。身長182cm。体重94kg[1]

経歴

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東洋大学を経て富士製鐵所属となる[1]。1964年10月に尼崎で開催された国際親善柔道大会では、東京オリンピック無差別で金メダルを獲得したばかりのオランダのアントン・ヘーシンクと対戦して、先に小外刈で技ありを取りながら抑え込みで敗れた。なおこの時ヘーシンクは、小外刈の技あり判定を不服として次の試合を放棄すると、会場を立ち去った。その不作法な態度に会場からは非難の声があがったという[2][3]。後にヘーシンクは「私の態度が悪かった」と謝罪の意を示した[4]。その後警視庁所属になると、1965年の世界選手権無差別に出場するが、4回戦でオランダのペーター・スナイデルスに判定負けすると、敗者復活戦でもソ連のアンゾール・キクナーゼに微妙な判定で敗れて5位にとどまった。監督の曽根康治は判定に抗議したものの、受け入れられなかった[5][6]。1968年には全国警察柔道選手権大会の重量級で優勝を飾った。引退後は慶應義塾大学の柔道部師範を務めた[7]

主な戦績

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脚注

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  1. ^ a b [全日本柔道選手権大会] 朝日新聞 1965年4月22日 夕刊5面
  2. ^ ヘーシンク氏に不戦勝 今も特別な感情持つ岡野氏 サンパウロ新聞
  3. ^ [貫禄のヘーシンク] 読売新聞 1964年10月26日 9面
  4. ^ [日本、外人組みに圧勝] 読売新聞 1964年10月27日 9面
  5. ^ 「激動の昭和スポーツ史⑯ 柔道」 ベースボールマガジン社、1989年発行 56頁
  6. ^ [世界選手権] 日本経済新聞 1965年10月19日 13面
  7. ^ 61年卒同期に思う我が体育会柔道部

外部リンク

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