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加賀テツヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加賀テツヤ
出生名 初鹿野 哲彦
別名 テリー・テッちゃん
生誕 1946年7月20日
出身地 日本の旗 日本京都府京都市
死没 (2007-12-30) 2007年12月30日(61歳没)
学歴 立命館高等学校中退
ジャンル グループ・サウンズニューロック
職業 音楽家
担当楽器 ボーカルギター
活動期間 1967年 - 2007年
レーベル
事務所 ターゲット・プロダクションなど
共同作業者

加賀 テツヤ(かが てつや、1946年7月20日 - 2007年12月30日)は、日本の音楽家。京都府京都市出身。本名は初鹿野 哲彦はつかの てつひこ

ザ・リンド&リンダース時代

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1965年、当時関西の大手芸能プロダクションであったターゲットプロの古川益雄[1]の誘いによりボーカル・グループ「リンダース」に加入。まもなく加藤ヒロシ率いる演奏部門の「ザ・リンド」との統合により「ザ・リンド&リンダース」に所属することになった[2]。持ち前の甘いルックスから「ザ・リンド&リンダース」内では一番の人気を誇り、1967年2月にはバンドのレコード・デビューに先がけてソロ名義シングル「ギター子守唄」でフィリップスからレコードデビューした。1968年には当時の日本では異色であった男性ヌードを雑誌上に掲載する。この時代の活動については、ザ・リンド&リンダースの項を参照。

加賀テツヤと(マジック)マッシュルーム時代

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ザ・リンド&リンダースの解散後の1970年、河村俊朗らとニューロック色の強い加賀テツヤとマジックマッシュルームを結成。レコードリリース時のクレジットでは「過激すぎる」という声から(マジック)が削除された。

作品

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  • 『国定忠治の墓/南京町から(ムショの窓)』(1970年 シングル/てんぐレコード)
  • 『朝のない夜/神の涙』(1971年 シングル/てんぐレコード)

渡米

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1972年に垂井利之らとカライドスコープを結成、1974年には桑名正博山本翔らとユグドラジルを結成し キングレコードからアルバム「INTRODUCTION」を発表するものの大きなヒットには結びつかなかった。その後、大麻取締法違反による大麻所持での逮捕などを受け1979年にはアメリカに移住。日米のミュージシャンとの交流はあったものの公式の音楽活動からは遠ざかることになった。

加賀テツヤとリンド&リンダース結成、晩年の活動

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1994年の帰国後は音楽・芸能活動を再開。大阪在住、ライブバー「SUNSET2117」の運営に関与、後進の育成に努めた。2005年ロンドン在住の加藤ヒロシを除く主要メンバーと「加賀テツヤとリンド&リンダース」名義で「ザ・リンド&リンダース」を再結成。

メンバー

  • 加賀テツヤ(ボーカル、ギター)
  • 堀こうじ(ギター)
  • 榊テルオ(ボーカル)
  • 宇野山和夫(ベース
  • 浜田藤丸(ドラムス

サポートミュージシャン

内田裕也加橋かつみ真木ひでとらGS時代から旧知のミュージシャンと定期的にジョイントライブを開催するなどしたが2007年12月30日、持病の悪化にともなう肺炎によりで死去。61歳没。

脚注

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出典

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  1. ^ 昭和 僕の芸能私史 永六輔著 朝日新聞社 1999年刊。
  2. ^ 熱狂GS図鑑 黒沢進著 徳間書店 1986年1月刊 16頁。

関連項目

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