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労乃宣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
労乃宣
プロフィール
出生: 1843年11月14日
道光23年9月23日)
死去: 1921年7月21日
中華民国の旗 中華民国山東省曲阜県
出身地: 清の旗 浙江省嘉興府桐郷県
職業: 文学者
各種表記
繁体字 勞乃宣
簡体字 劳乃宣
拼音 Láo Năixuān
ラテン字 Lao Nai-hsüan
和名表記: ろう だいせん/ろう ないせん
発音転記: ラオ・ナイシュエン
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労 乃宣(ろう だいせん/ろう ないせん)は、清末民初の文学者。季瑄、号は玉初または矩斎、晩号は韌叟

経歴

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同治7年(1868年)に進士となる。光緒5年(1879年)以降、臨楡南皮完県呉橋等の知県となる。直隷省の地方官を務めていたが、義和団に反感を持ち、鎮圧を主張した。『義和拳教門源流考』を著し、義和団の起源は白蓮教であると主張したが、この説は後世の歴史学者からは疑問を持たれている。

1911年、京師大学堂(北京大学の前身)総教習となった。清朝滅亡後は遺老となり、康有為らとともに張勲復辟を擁護した。

研究内容・業績

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音韻学者としては表音文字の導入を推進した。著書に『等韻一得』がある。

またドイツ人宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムが『易経』をドイツ語に翻訳するのに協力した。

家族・親族

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  • 曾祖父:労樹堂。清朝の進士・官吏。

著書・著作

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脚注

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