労働者オリンピアード
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労働者オリンピアード(ろうどうしゃオリンピアード、ドイツ語 Arbeiterolympiade[1])は社会民主主義労働者スポーツ・インターナショナルが主催した国際的なスポーツの祭典である[2]。第1回(1925年)がフランクフルトで、第2回(1931年)がウィーンで、第3回(1937年)がアントワープで開催された[2]。1931年の第2回は参加国26か国、参加者10万人以上、観戦者24万人以上で、1932年のロサンゼルスオリンピックよりもはるかに大規模だった[3]。左翼版オリンピックとして位置付けられ[4]、国々の間の対抗心よりも労働者の国際的な連帯に重点が置かれたとされる[3]。労働者オリンピック[5]、国際労働者オリンピック[6]とも。
1936年、ベルリン・オリンピックに対抗するものとしてバルセロナ(ベルリンにオリンピック候補地競争で競り負けていた都市)で人民オリンピックが開催される予定があった(この際、社会主義系であった労働者オリンピアードと共産主義者の組織が合流した)が、スペイン内戦の勃発により頓挫した[7]。
出典
[編集]- ^ 上野卓郎 赤いウィーンの労働者オリンピアード 1931年 一橋大学スポーツ研究 29, 25-31, 2010-10-01
- ^ a b 青沼裕之 アントワープ労働者オリンピアードとウォルター・シトリーン 尚美学園大学総合政策研究紀要 2, 87-103, 2001-10-31
- ^ a b Roni Gechtman, "Socialist Mass Politics through Sport: The Bund’s Morgnshtern in Poland, 1926-1939", Journal of Sport History, Volume 26, Number 2, pp.326-352
- ^ The Olympics: Playing Political Games, Modern Records Centre, University Library, University of Warwick
- ^ 田口晃『ウィーン 都市の近代』(2008年)p.231 ISBN 978-4004311522
- ^ 田中利幸オリンピック広島誘致批判 税金の浪費、政治腐敗の原因、まやかしの「平和祭典」2010年
- ^ https://www.redpepper.org.uk/socialist-olympics-peoples-olympiad-barcelona-1936/