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勝山城 (紀伊国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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勝山城
和歌山県
城郭構造 山城
築城主 廊ノ坊重盛
築城年 不明
主な城主 廊ノ坊重盛
廃城年 1581年天正9年)
遺構 井戸・曲輪・堀切
指定文化財 未指定
位置 北緯33度38分47.2秒 東経135度55分58.7秒 / 北緯33.646444度 東経135.932972度 / 33.646444; 135.932972
地図
勝山城の位置(和歌山県内)
勝山城
勝山城
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勝山城(かつやまじょう)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮にあった日本の城(山城)。

概要

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熊野三所権現の裏山に、同町遺跡番号23として城跡があり、井戸跡・堀切曲輪が残る(遺跡番号53「橋爪坊屋敷跡」・54「神光坊屋敷跡」という中世居館遺構とも近接する)[1][2]

当時は東牟婁郡で最大級の城だった。城主は那智山の有力社家で、熊野水軍の有力者の一つでもあった潮崎氏の一族である廊ノ坊重盛。城は戦国時代新宮戦国大名となった堀内氏との1581年天正9年)の合戦で3ヶ月持ちこたえたが、落城した。

城跡には平安時代末期に那智湾で入水したと伝わる平維盛の墓もある。潮崎氏は、平清盛の弟で源頼朝から本領を安堵された平頼盛の子孫であるとも、頼盛の子孫を鎌倉時代に養子を迎えたともされる。

脚注

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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