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勝川春山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「太々講二見ヶ浦美人集」 3枚続の内、春山画。ブルックリン美術館蔵。

勝川 春山(かつかわ しゅんざん、生年不明 - 天保12年4月7日〈1841年5月27日〉)とは、江戸時代浮世絵師

来歴

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勝川春章の門人とされるが、実際には春章門下の勝川春英に絵の教えを受けたという。本姓は大関、俗名文吉。勝川を称して天明から寛政にかけて美人画などの錦絵を残した。春山の描く長身の美人画には春章の作風などとは異なり、鳥居清長の影響が強く見られる。一時期、寿香亭吉信の門人となり泉昌有と称したが、のちにまた春山の名に戻った。墓所はもと本郷丸山の本妙寺の子院妙雲院にあったが、妙雲院は本妙寺と合併し豊島区に移転している。法名は如是院皆悟日眼信士。

作品

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大黒天と白ねずみ」 寛政4年(1792年)の絵暦。春山画。アムステルダム国立美術館蔵。
「風流女十徳」 下絵、天明頃。春山画。

脚注

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  1. ^ 金竜山仁王門”. 国立国会図書館. 2015年6月閲覧。

参考文献

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  • 木村捨三 「勝川春山の代々」 『浮世絵芸術』第2号 日本浮世絵協会、1963年[7]
  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※54頁
  • 田中達也 「泉守一(寿香亭目吉)(Ⅱ)」 『麻布美術館だより』第11号 麻布美術館、1986年

関連項目

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