勝福寺古墳
勝福寺古墳 | |
---|---|
墳丘遠景 (階段上に後円部、右奥に前方部) | |
所在地 | 兵庫県川西市火打2丁目393 |
位置 | 北緯34度50分16.22秒 東経135度24分51.22秒 / 北緯34.8378389度 東経135.4142278度座標: 北緯34度50分16.22秒 東経135度24分51.22秒 / 北緯34.8378389度 東経135.4142278度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長40m |
埋葬施設 |
後円部:横穴式石室2基 前方部:木棺直葬2基 |
出土品 | 画文帯神獣鏡・六鈴鏡・銀象嵌竜文刀など副葬品多数・須恵器・土師器・埴輪 |
築造時期 | 6世紀初頭 |
史跡 | 兵庫県指定史跡「勝福寺古墳」 |
有形文化財 | 出土品(兵庫県指定文化財) |
地図 |
勝福寺古墳(しょうふくじこふん)は、兵庫県川西市火打にある古墳。形状は前方後円墳。兵庫県指定史跡に指定され、出土品は兵庫県指定有形文化財に指定されている。
概要
[編集]兵庫県東部の長尾山丘陵東端、勝福寺の裏山斜面に築造された古墳である。1891年(明治24年)に発見され多数の副葬品が出土しているほか、1971年(昭和46年)以降に発掘調査が実施されている。
墳形は前方後円形で(調査前は円墳2基(勝福寺南墳・勝福寺北墳)とされた)、前方部を南南東方向に向ける。墳丘外表では円筒埴輪・形象埴輪(家形・甲冑形埴輪)が検出されている。埋葬施設は後円部における右片袖式横穴式石室(第1石室)・小横穴式石室(第2石室)の2基、前方部における木棺直葬2基(北棺・南棺)の計4基である。第1石室が中心的埋葬とされ、横穴式石室としては初期段階になるとして注目される。第1石室内からは画文帯神獣鏡・六鈴鏡・銀象嵌竜文刀・馬具など優れた副葬品が出土しており、第2石室・北棺・南棺からも副葬品が出土している。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀初頭頃と推定される[1]。小規模古墳ながら前方後円墳である点、初期横穴式石室を採用する点、優れた副葬品を有する点で特筆され、川西南部地域を掌握した首長墓として位置づけられる[1]。被葬者に関しては、継体天皇(第26代)に関連する人物とする説が挙げられる[1]。
古墳域は2014年(平成26年)に兵庫県指定史跡に指定され、出土品は同年に兵庫県指定有形文化財に指定された。現在では第2石室は埋め戻され、第1石室も石室内への立ち入りは制限されている。
遺跡歴
[編集]- 1891年(明治24年)、採土に際して発見。第1石室が開口、副葬品多数出土[1]。
- 1933年(昭和8年)、前方部北棺の発見[2]。
- 1968年(昭和43年)11月21日、川西市指定史跡に指定。
- 1971年(昭和46年)、発掘調査。前方部南棺の発見(川西市教育委員会)[1]。
- 2000年(平成12年)、測量調査(大阪大学考古学研究室、2001年に報告書刊行)。
- 2001-2004年(平成13-16年)、発掘調査。前方後円墳と判明、第2石室の発見(大阪大学考古学研究室・川西市教育委員会、2004年に概報刊行、2006年に報告書刊行)[1]。
- 2011年度(平成23年度)、墳丘復元工事[1]。
- 2014年(平成26年)3月14日、兵庫県指定史跡に指定、出土品が兵庫県指定有形文化財に指定。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては後円部において横穴式石室2基(第1石室・第2石室)が、前方部において木棺直葬2基(北棺・南棺)が構築されている。石室・木棺の規模は次の通り[1]。
- 第1石室
- 石室全長:9.02メートル
- 玄室:長さ4.71メートル、幅2.3メートル、高さ2.43メートル
- 羨道:長さ4.31メートル、幅1.43メートル、高さ1.69メートル
- 第2石室
- 長さ2.5メートル以上、幅1.4メートル、高さ0.6メートル以上
- 前方部北棺
- 長さ・幅不明
- 前方部南棺
- 長さ約2.7メートル、幅約0.6メートル
第1石室は、1891年(明治24年)に発見された。右片袖式横穴式石室で、北北西方向に開口する。初期の横穴式石室であり、画文帯神獣鏡・六鈴鏡・銀象嵌竜文刀の出土から中心的埋葬施設とされる[1]。
第2石室は、2004年(平成16年)の発掘調査で発見された。第1石室の入口前に構築された小型の石室で、西南西方向に開口した。天井石のほか石材の多くは失われているが、石室内からは須恵器群が検出されている。第1石室の被葬者の子孫と推測される。現在では埋め戻されている[1]。
前方部北棺は、1933年(昭和8年)に発見された。木棺直葬で、五獣形鏡・鹿角製刀装具の刀片が出土したと伝える[1]。
前方部南棺は、1971年(昭和46年)の発掘調査で発見された。木棺直葬で、金製耳環・銀製梔子玉・鉄刀・鉄鏃が検出されている[1]。
-
第1石室玄室(奥壁方向)
-
第1石室玄室(開口部方向)
-
第1石室羨道(開口部方向)
-
第1石室羨道(玄室方向)
-
第1石室開口部
-
第1石室出土品
川西市文化財資料館展示(他画像も同様)。 -
画文帯神獣鏡
-
六鈴鏡
-
銀象嵌竜文刀
-
第2石室出土品
-
前方部南棺出土品
-
円筒埴輪
-
形象埴輪
文化財
[編集]兵庫県指定文化財
[編集]- 有形文化財
- 勝福寺古墳出土品 318点(考古資料) - 勝福寺は勝福寺・川西市。川西市文化財資料館保管。2014年(平成26年)3月14日指定。
- 史跡
- 勝福寺古墳 - 所有者は勝福寺・川西市。2014年(平成26年)3月14日指定。
関連施設
[編集]- 川西市文化財資料館(川西市南花屋敷) - 勝福寺古墳の出土品を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『勝福寺古墳測量調査報告書』大阪大学大学院文学研究科考古学研究室、2001年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『勝福寺古墳発掘調査概報』大阪大学大学院文学研究科考古学研究室、2004年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『川西市勝福寺古墳発掘調査報告』川西市教育委員会、2006年。
- 『勝福寺古墳の研究(大阪大学文学研究科考古学研究報告)』大阪大学勝福寺古墳発掘調査団、2007年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 勝福寺古墳 デジタル歴史講座 - 大阪大学考古学研究室