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勝福寺古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勝福寺古墳

墳丘遠景
(階段上に後円部、右奥に前方部)
所在地 兵庫県川西市火打2丁目393
位置 北緯34度50分16.22秒 東経135度24分51.22秒 / 北緯34.8378389度 東経135.4142278度 / 34.8378389; 135.4142278座標: 北緯34度50分16.22秒 東経135度24分51.22秒 / 北緯34.8378389度 東経135.4142278度 / 34.8378389; 135.4142278
形状 前方後円墳
規模 墳丘長40m
埋葬施設 後円部:横穴式石室2基
前方部:木棺直葬2基
出土品 画文帯神獣鏡・六鈴鏡・銀象嵌竜文刀など副葬品多数・須恵器土師器埴輪
築造時期 6世紀初頭
史跡 兵庫県指定史跡「勝福寺古墳」
有形文化財 出土品(兵庫県指定文化財)
地図
勝福寺古墳の位置(兵庫県内)
勝福寺古墳
勝福寺古墳
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勝福寺古墳(しょうふくじこふん)は、兵庫県川西市火打にある古墳。形状は前方後円墳。兵庫県指定史跡に指定され、出土品は兵庫県指定有形文化財に指定されている。

概要

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墳丘
右に後円部、左奥に前方部。

兵庫県東部の長尾山丘陵東端、勝福寺の裏山斜面に築造された古墳である。1891年明治24年)に発見され多数の副葬品が出土しているほか、1971年昭和46年)以降に発掘調査が実施されている。

墳形は前方後円形で(調査前は円墳2基(勝福寺南墳・勝福寺北墳)とされた)、前方部を南南東方向に向ける。墳丘外表では円筒埴輪形象埴輪(家形・甲冑形埴輪)が検出されている。埋葬施設は後円部における右片袖式横穴式石室(第1石室)・小横穴式石室(第2石室)の2基、前方部における木棺直葬2基(北棺・南棺)の計4基である。第1石室が中心的埋葬とされ、横穴式石室としては初期段階になるとして注目される。第1石室内からは画文帯神獣鏡・六鈴鏡・銀象嵌竜文刀・馬具など優れた副葬品が出土しており、第2石室・北棺・南棺からも副葬品が出土している。

築造時期は、古墳時代後期の6世紀初頭頃と推定される[1]。小規模古墳ながら前方後円墳である点、初期横穴式石室を採用する点、優れた副葬品を有する点で特筆され、川西南部地域を掌握した首長墓として位置づけられる[1]。被葬者に関しては、継体天皇(第26代)に関連する人物とする説が挙げられる[1]

古墳域は2014年平成26年)に兵庫県指定史跡に指定され、出土品は同年に兵庫県指定有形文化財に指定された。現在では第2石室は埋め戻され、第1石室も石室内への立ち入りは制限されている。

遺跡歴

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  • 1891年明治24年)、採土に際して発見。第1石室が開口、副葬品多数出土[1]
  • 1933年昭和8年)、前方部北棺の発見[2]
  • 1968年(昭和43年)11月21日、川西市指定史跡に指定。
  • 1971年(昭和46年)、発掘調査。前方部南棺の発見(川西市教育委員会)[1]
  • 2000年平成12年)、測量調査(大阪大学考古学研究室、2001年に報告書刊行)。
  • 2001-2004年(平成13-16年)、発掘調査。前方後円墳と判明、第2石室の発見(大阪大学考古学研究室・川西市教育委員会、2004年に概報刊行、2006年に報告書刊行)[1]
  • 2011年度(平成23年度)、墳丘復元工事[1]
  • 2014年(平成26年)3月14日、兵庫県指定史跡に指定、出土品が兵庫県指定有形文化財に指定。

埋葬施設

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第1石室俯瞰図
第1石室展開図

埋葬施設としては後円部において横穴式石室2基(第1石室・第2石室)が、前方部において木棺直葬2基(北棺・南棺)が構築されている。石室・木棺の規模は次の通り[1]

第1石室
  • 石室全長:9.02メートル
  • 玄室:長さ4.71メートル、幅2.3メートル、高さ2.43メートル
  • 羨道:長さ4.31メートル、幅1.43メートル、高さ1.69メートル
第2石室
  • 長さ2.5メートル以上、幅1.4メートル、高さ0.6メートル以上
前方部北棺
  • 長さ・幅不明
前方部南棺
  • 長さ約2.7メートル、幅約0.6メートル

第1石室は、1891年(明治24年)に発見された。右片袖式横穴式石室で、北北西方向に開口する。初期の横穴式石室であり、画文帯神獣鏡・六鈴鏡・銀象嵌竜文刀の出土から中心的埋葬施設とされる[1]

第2石室は、2004年(平成16年)の発掘調査で発見された。第1石室の入口前に構築された小型の石室で、西南西方向に開口した。天井石のほか石材の多くは失われているが、石室内からは須恵器群が検出されている。第1石室の被葬者の子孫と推測される。現在では埋め戻されている[1]

前方部北棺は、1933年(昭和8年)に発見された。木棺直葬で、五獣形鏡・鹿角製刀装具の刀片が出土したと伝える[1]

前方部南棺は、1971年(昭和46年)の発掘調査で発見された。木棺直葬で、金製耳環・銀製梔子玉・鉄刀・鉄鏃が検出されている[1]

文化財

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兵庫県指定文化財

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  • 有形文化財
    • 勝福寺古墳出土品 318点(考古資料) - 勝福寺は勝福寺・川西市。川西市文化財資料館保管。2014年(平成26年)3月14日指定。
  • 史跡
    • 勝福寺古墳 - 所有者は勝福寺・川西市。2014年(平成26年)3月14日指定。

関連施設

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  • 川西市文化財資料館(川西市南花屋敷) - 勝福寺古墳の出土品を保管・展示。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 勝福寺古墳パンフレット。
  2. ^ 勝福寺古墳(平凡社) 1999.

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(川西市教育委員会、2012年設置)
  • 勝福寺古墳パンフレット(川西市教育委員会社会教育室、2012年)
  • 「勝福寺古墳」『日本歴史地名大系 29 兵庫県の地名』平凡社、1999年。 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 勝福寺古墳測量調査報告書』大阪大学大学院文学研究科考古学研究室、2001年。  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
  • 勝福寺古墳発掘調査概報』大阪大学大学院文学研究科考古学研究室、2004年。  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
  • 『川西市勝福寺古墳発掘調査報告』川西市教育委員会、2006年。 
  • 『勝福寺古墳の研究(大阪大学文学研究科考古学研究報告)』大阪大学勝福寺古墳発掘調査団、2007年。 

関連項目

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外部リンク

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