勢野茶臼山古墳
勢野茶臼山古墳 | |
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出土埴輪 (奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示) | |
所在地 | 奈良県生駒郡三郷町東信貴ヶ丘1丁目 |
位置 | 北緯34度36分21.60秒 東経135度42分15.00秒 / 北緯34.6060000度 東経135.7041667度座標: 北緯34度36分21.60秒 東経135度42分15.00秒 / 北緯34.6060000度 東経135.7041667度 |
形状 | 前方後円墳(一説に円墳) |
規模 |
墳丘長40m 高さ5m(後円部) |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
出土品 | 埴輪・須恵器 |
築造時期 | 6世紀初頭 |
史跡 | なし |
特記事項 | 墳丘は非現存 |
地図 |
勢野茶臼山古墳(せやちゃうすやまこふん)は、奈良県生駒郡三郷町東信貴ヶ丘にあった古墳。形状は前方後円墳(一説に円墳)。現在では墳丘は失われている。
概要
[編集]奈良県北西部、平群谷南端の小丘陵上(標高142.3メートル)に築造された古墳である。1963年(昭和38年)に発掘調査が実施されたうえで、宅地造成のため消滅している。
墳形は前方後円形で、前方部を南方向に向けた[1](想定前方部を自然地形として円墳と見る説もある[2])。墳丘外表では帯状の葺石のほか、埴輪が認められる[1]。埋葬施設は横穴式石室で、南西方向に開口した。ドーム状天井の玄室に狭長な羨道が接続するという、初期横穴式石室の特徴を呈する。石室内は盗掘に遭っていたが、調査では形象埴輪・須恵器が検出されている。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀初頭[1](または6世紀前半[2])頃と推定される。初期の横穴式石室の様相を知るうえで重要視されるとともに、埴輪の使用方法の変質を示唆する点でも貴重な古墳になる[1]。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[1]。
- 墳丘長:40メートル
- 後円部
- 直径:28メートル
- 高さ:5メートル
- 前方部
- 幅:18メートル
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては横穴式石室が構築されており、南西方向に開口した。石室の規模は次の通り[1]。
- 玄室:長さ4.6メートル、幅3.6メートル(中央)、高さ3.6メートル
- 羨道:長さ5.4メートル、幅1.3メートル、高さ1.25メートル
玄室の平面形は長方形で、狭長な羨道が接続する。特に玄室は四壁とも強く持ち送り、ドーム状天井を形成するという初期横穴式石室の特徴を呈する[1]。
玄室内は盗掘に遭っているが、羨道部は川原石の閉塞のため盗掘を免れている。調査では、羨道中央部から前庭部にかけて四注形家形埴輪、盾形・大刀形・蓋形埴輪、人物埴輪(女性)各1基が順に整然と配置された様子が認められている[1]。また須恵器(坏・高坏・子持高坏・甕)が閉塞石と混在した状態で検出されている[2]。
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家形埴輪
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館企画展示時に撮影。 -
参考:纏向遺跡出土 家形埴輪
勢野茶臼山古墳出土埴輪と酷似する。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館企画展示時に撮影。 -
巫女埴輪
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示。 -
大刀形埴輪
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示。 -
盾形埴輪
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示。
関連施設
[編集]- 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館(橿原市畝傍町) - 勢野茶臼山古墳の出土品を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 猪熊兼勝「茶臼山古墳 > 勢野茶臼山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「勢野茶臼山古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『小泉狐塚・大塚古墳、勢野茶臼山古墳、和爾上殿古墳(奈良県史跡名勝天然記念物調査報告 第23冊)』奈良県教育委員会、1966年。